2009年12月02日

第7話 波の泡

 以下に掲載するのは、パヴェーゼの『レウコとの対話』の第7話(1946年1月12日-19日筆)になります。舞台化の際には、この翻訳を下訳として、より適切な日本語に改める予定です。
(持田 睦)


波の泡
(09/12/4更新)

 クレテーの、そしてミノアのニンフ、ブリトマルティスのことは、カリマコスが語っている。サッポーがレスボス島出身のレズビアンであったことは、好まれない事実であるが、われわれがより悲しいこととみなしているのは、彼女が生きる望みを失ったという事実であり、その事実ゆえに、彼女は海のなかに、ギリシアの海のなかに身を投げる決心をしたのだった。この海には島が満ちあふれており、全島のなかでいちばん東方にあるキュプロスには、波から生まれたアプロディーテが身を寄せた。数多くの情事と大いなる不幸を見つめてきた海であった。アリアドネー、パイドラー、アンドロマケー、ヘレー、スキュラ、イーオ、カッサンドラー、メーディア、その名を挙げる必要があるだろうか? みなが海を渡り、そしてひとりよりも多くが、海のなかに残されたのだった。一面にわたり、精液と涙が溶けこんでいる海、そう思わずにはいられない。

(サッポーとブリトマルティスの対話)

サッポー: ここは単調だわ、ブリトマルティス。海って単調よ。あなた、ずいぶん長いことこんなところにいて、うんざりしないの?
ブリトマルティス: あなたが死すべき存在であったころは、こっちのほうがよかったくせに。あぶくを立てる、わずかばかりの波になるなんてことは、あなたたちにはもの足りないことなのね。そのくせ、あなたたちは死を、こういった死を求めてるんだから。あなたはどうして死を求めてたの?
サッポー: こんなふうになるなんて、知らなかったのよ。さいごにひとっ跳びしたら、すべてが終わるんだって思ってた。あこがれも、気がかりも、胸さわぎも、消えてしまうんだって。海が飲みこんでくれる、海が滅ぼしてくれる、そうわたしはじぶんに言い聞かせてたんだわ。
ブリトマルティス: 海のなかではすべてが死に絶え、そしてよみがえるのよ。あなたももうご存知のようにね。
サッポー: それで、あなたはどうして海を求めたの、ブリトマルティス―あなたったら、ニンフだったんでしょ?
ブリトマルティス: わたしはそんなもの、求めてなんかいないわ、海なんて。わたしは山の上で暮らしていたの。そして月の下を逃げたのよ、だれだかわからない、死すべき存在に追われながら。あなたはね、サッポー、わたしたちの森を知らないんだわ、海の上、ものすごく高く、切り立っている森を。わたしはひとっ跳びしたの、じぶんを救うために。
サッポー: それで、いったいなんのために、あなたを救うの?
ブリトマルティス: かれから逃げるために、わたしがわたしであるために。だって、そうしなきゃいけなかったんだもの、サッポー。
サッポー: そうしなきゃいけなかった? それほどまでに、あなたのお気に召さなかったのかしら、その死すべき存在は?
ブリトマルティス: 分からないわ、かれのこと、目にしたことなかったから。わたしに分かっていたのは、逃げなきゃいけなかったってこと、ただそれだけ。
サッポー: そんなことがありえるかしら? 日々の暮らしから、山から、草むらから離れ去る―大地から離れ去って、波の泡となる―すべては、そうしなきゃいけなかったから、ですって? そうしなきゃいけなかったって、なにから逃げなきゃいけなかったって言うの? あなたはそのなにかに欲求は感じなかったのかしら、そうしたものが、あなたを作りあげているものでもあったんじゃないのかしら?

(以下、未訳)

(翻訳・持田 睦)
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2009年10月08日

第11話「断崖」について(1)

(2009/10/9修正)

 『レウコとの対話』の中でも、難解な対話のうちの一つに挙げられるのは、第11話の「断崖」かと思う。日本語に翻訳していても、すっきりしない箇所がいくつかあり、そうした箇所は英独仏訳でも苦しんでいるように感じられる。ただ「断崖」が魅力あふれる作品であるのもまた確かなことで、個人的には、第26話の「詩女神」と並ぶ傑作だと思っている。
 私自身、「断崖」を完全に理解できている自信はまだないのだが、理解の助けとなるかもしれないことを書きとめておきたい。

 全体を理解する上で大切となってくるのは、プロメテウスの口にする、

 「人間とはあわれみとおそれだ。」

 という台詞である。この人間の定義の根底には、ゼウスを頂点とする「神々」の存在があることは、プロメテウスの以下の言葉から明らかである。

 「死はこの世界に、神々とともに入ってきた。おまえたち死すべきものが死をおそれるのは、神々という肩書きでもって、あのものたちが不死であることを理解しているからだ。」

 ここから「人間とはあわれみとおそれだ。」と言うときの「おそれ」が「死へのおそれ」であることと、その「おそれ」が「神々の不死」に由来することが容易に見て取れる。死そのものは本来、おそれの対象ではない。僕らが死をおそれるのは、「神々」という肩書きを持つものだけに許される「不死」を介して僕らの死を見つめた結果、僕らの死が惨めなものとして現象してくるからなのだ。

 では「人間とはあわれみとおそれだ。」と言うときの「あわれみ」はどうだろう。こちらのほうは「おそれ」ほどは理解が容易でない。なるほど、プロメテウスは以下のように述べてはいる。

 「勝利とは、もしそれが行為となってあらわれるあわれみ、みずからを犠牲にして他のものたちを救うあわれみでなかったとしたら、いったい何であろうか?」

 理解不可能の一文ではない。ただ「あわれみ」の一語が「断崖」という対話全体の中でどのような位置を占めているのか、はっきりと見えてこない。

 こんなときは、本棚に目を向け、未読の一冊を開いてみるとよい。たとえば数年前古書店で購入した西脇順三郎の『詩学』

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 一度読みかけたけれど、陳腐な言葉にあふれているように思われて、途中で放棄してしまった一冊。あらためて「私の詩論」という小論を読んでみると、そこには次のようなことが書かれていた。

 「有限の世界である自然や人間の現実と無限の世界を連結しておくと、無限の世界は有限の世界の価値を否定しようとする。それがために有限の世界の「はかなさ」が宿命として人間が感じるようになる。そうした宿命的な存在はマラルメのいう「存在の神秘」となる。それは人間の絶望としての神秘である。マラルメはポエジイとは人間存在の神秘を表現することである、という。
  ポエジイは存在の神秘である。
 人間は自分の存在や自然に対して愛着を感じそれは哀愁の情となる。
  ポエジイは哀愁である。
 人間はつまらない自然の存在に対しても愛を感じ哀愁を深からしめる。人間の作った一つの曲った茶碗にも無花果の実の熟して口を少しあけているのをみても、霞の満ちた窪みにも、こわれた魚梁(やな)にも、無限の哀愁を感じるようになる。」

 ここで「哀愁」について言われていることは、「人間とはあわれみとおそれだ。」と言うときの「あわれみ」に近いだろう。西脇は「人間は自分の存在や自然に対して愛着を感じそれは哀愁の情となる」と言うが、『レウコ』の「断崖」の中では、興味深いことに、西脇の言うところの「哀愁の情」を人間だけでなく、プロメテウスのような「ティタン人(びと)」や、ケイロンのような「獣人(けものびと)」までもが有しているように思われる。たとえば、プロメテウスは次のように述べている。

 「おまえが打ち倒したのは、ティタンや死すべきものたちに対してあわれみ深く、善良である友人ケイロンだ。」

 しかしどうして「人間」や「ティタン人」や「獣人」は「あわれみ」を有することができるのか。プロメテウスの言葉をいくつか列挙してみよう。

 「世界は古い、この断崖よりも古い。〔中略〕だが神々は若い、ほとんどおまえと同じくらい若いのだ。」

 「かつてはおれはティタンであり、神々のいない世界で暮らしていたのだ。」

 「今ある世界においても未来の世界においても、すぐれたものでティタンの一族でなかったものはいないのだ。」

 「(人間であるヘラクレスに対して。)おまえたちはティタンになるのだ、まもなく。」

 これらの箇所から明らかになってくるのは、「人間」も「ティタン人」も「獣人」も本来は、「神々」以前の世界、すなわち「ティタン」の世界に属する存在だということだ。そしてある存在が自分のみならず、自分以外の存在に対しても「あわれみ」を感じることができるのだとしたら、それは自分も自分以外の存在もみな、本来は「ティタン」であり、同一の族であるからなのだ。

 結論を述べると次のようになるだろう。

 『レウコとの対話』第11話の「断崖」において、「人間とはあわれみとおそれだ。」と人間が定義づけられるとき、「おそれ」の根底には「神々」が存在し、他方「あわれみ」の可能性は「ティタン」の存在の内にある。

 次回は、『レウコ』の「断崖」における、「神々」と「ティタン」の性質の違いについて述べたいと思う。

(持田 睦)
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2009年09月18日

第9話 ふたり

 以下に掲載するのは、パヴェーゼの『レウコとの対話』の第9話(1946年1月18日-20日筆)になります。舞台化の際には、この翻訳を下訳として、より適切な日本語に改める予定です。
(持田 睦)


ふたり
(09/12/2更新)

 ホメロスの焼き直しをしても無駄である。われわれは単に、パトロクロスの死の前日に生じた会話を報告したかっただけだ。

(アキレウスとパトロクロスの対話)

アキレウス: パトロクロス、どうしてぼくら人間は、勇気を出すためにいつだって「ぼくはもっとひどいめにあってきたじゃないか」って言うんだろう、ほんとうなら「いちばんひどいことがやってくるだろう。ぼくらが死体になる日がやってくるだろう」って言わなきゃならないときに?
パトロクロス: アキレウス、きみの言っていることが、ぼくにはもうわからないよ。
アキレウス: でもぼくのほうは、きみの言っていることがわかるのさ。パトロクロスを殺めるのに、わずかばかりのお酒なんかで足りるもんか。今晩、ぼくらと下劣な人間たちとのあいだに、結局は違いなんてないことを、ぼくは知ることになるんだ。だれにとっても、いちばんひどいことってのがある。そしてこのいちばんひどいことってのは、最後にやってきて、ありとあらゆることの後にやってきて、きみの口をふさいでしまうんだ、ひとにぎりの土みたいにね。思い出にひたるのはいつだって好ましいものさ、「こんなめにあったっけ、ほかにもこんな思いをしてきたっけ」―でもいちばんつらいことを、ぼくらは思い出すことができないらしいだなんて、不公平なことだと思わない?
パトロクロス: 少なくとも、ぼくらのうちのひとりは、もうひとりのためにそのことを思い出すことができるだろうね。そう願おうよ。ぼくらはそうやって運命に一杯食わせてやるんだ。
アキレウス: そのために、夜に、ひとはお酒を飲むのさ。きみは今までに、子どもがお酒を飲まないのは、子どもには死が存在しないからだって、思ってみたことはある? きみは、パトロクロス、少年だったころにお酒を飲んだ?
パトロクロス: ぼくはなにもかも、きみといっしょ、きみと同じようにやってきたじゃない。
アキレウス: ぼくの言いたいことはね、ぼくらがいつだっていっしょにいて、遊んで、狩りをして、そして一日は短いくせに、年月はけっして過ぎていかなかったあのころ、きみは死とはなにか、きみの死とはなにかを知っていたのか、ってことなんだ。というのも、ひとは少年のころ、みずからを殺めたりするくせに、死とはなにかを知らないんだ。それから突然、死とはなにかがわかるようになり、死のまっただ中に存在するようになる日がやってくる、そしてそのときから、ひとは一人前になるんだ。闘って、そして遊んで、飲んで、がまんならない夜をおくるのさ。ところできみは、酔っぱらっている少年をいままでに見たことはある?
パトロクロス: ぼくはいつが初めてのことだったか、じぶんに問いかけてみている。わからない。思い出せないや。ぼくはいつだって飲んでいて、死を知らずにいたような気がする。
アキレウス: きみは少年みたいだね、パトロクロス。
パトロクロス: そういうことはきみの敵にきいてくれよ、アキレウス。
アキレウス: きいてみるよ。でもきみにとって死は存在しないんだね。そして死をおそれないものは、すぐれた戦士ではないのさ。
パトロクロス: だけどきみと飲んでるんだもの、今夜は。
アキレウス: で、きみはなにも記憶にないの、パトロクロス? きみはじぶんが実際になにをしたのか、きみの人生がどんなものだったのか、きみに関することで大地や海にきみが残していったものはなんであるか、じぶんに問いたずねながら、「こんなことをしてきた。こんなめにあってきた。」と口にすることは一度もないの? なにも覚えていないのだとすると、日々を過ごすことはいったいなんの役に立つの?
パトロクロス: ぼくらがふたりの少年だったころ、アキレウス、ぼくらはなにも覚えていなかったじゃない。ただずっといっしょにいるだけで、ぼくらは十分だったよね。
アキレウス: ぼくはじぶんに問いかけてみるんだ、テッサリアには、そのころのことをまだ覚えているひとがいるのだろうかって。そして仲間たちがこの戦争からあっちへ戻っていったとき、だれがあの道を通っていくのだろうか、だれがそこにはかつて、ぼくらも存在したことを知るのだろうか―いまそこにはほかの少年たちがたしかに存在しているように、ふたりの少年が存在していたことを知るのだろうかって。いま大きくなっている少年たちは知っているのだろうか、いったいなにが、かれらを待ち受けているのか。
パトロクロス: そんなことを考えたりなんかしないよ、少年のころに。
アキレウス: これからも生じるにちがいないけれど、ぼくらは目にすることがない、そんな日々があるんだ。
パトロクロス: そういった日々なら、ぼくらはもうたくさん目にしたんじゃない?
アキレウス: いいや、パトロクロス、たくさんでもないんだ。ぼくらが死体になる日がやってくるだろう。ぼくらがひとにぎりの土で、口をふさいでしまう日が。そしてぼくらは、じぶんたちが目にしてきたものがなにひとつわからくなるだろう。
パトロクロス: そんなことを考えたって、なんにもなりはしないよ。
アキレウス: ひとはそんなことを、考えずにはいられないんだ。少年のころ、ひとは不死なるものに似ていて、じっと見つめ、そして笑うのさ。気をめいらせるようなことは知らない。疲れや嘆きを知らない。遊びで闘って、死んだように地面に身を投げ出す。それから笑って、そしてまた、遊ぶんだ。
パトロクロス: ぼくらには、べつの遊びがあるじゃない。ベッドや戦利品。敵。それから今晩のこの酒。アキレウス、ぼくらはいつ戦場に戻るの?
アキレウス: ぼくらは戻る、安心して。ある運命がぼくらを待っているんだ。きみが炎につつまれた船を目にしたときが、その時さ。
パトロクロス: そんなときかい?
アキレウス: どうして? きみはこわがってるの? きみはもっとひどいめにあってきたんじゃないの?
パトロクロス: いらだっているんだよ。ぼくらがここにいるのは終わりにするため。明日だったらいいのに。
アキレウス: あわてるな、パトロクロス。「明日」なんてことは神々に言わせておけばいいんだ。ただあのものたちのためだけなんだから、かつてあったことが、これからもあるのは。
パトロクロス: でももっとひどいめにあうかどうかは、ぼくらしだいだ。さいごのさいごまでね。飲みなよ、アキレウス。槍に乾杯しながら、それから盾に乾杯しながら。かつてあったことは、これからもまたあるだろう。危険なめにあうために、戻るとしようよ。
アキレウス: ぼくは死すべきものたちに乾杯しながら、それから不死なるものたちに乾杯しながら飲むのさ、パトロクロス。ぼくの親父に乾杯、それからおふくろに乾杯。記憶のなかにある、かつてあったことに乾杯。それから、ぼくらふたりに、乾杯。
パトロクロス: きみはたくさんのことを覚えているの?
アキレウス: おんなやこじきよりも、ってわけではないけれど。やつらだってかつては少年少女だったんだから。
パトロクロス: きみは恵まれているね、アキレウス、そしてきみにとって恵みとは、ひとが投げ捨ててしまうぼろぎれなんだ。きみくらいのものだよ、じぶんをこじきにたとえることができるのは。テネドス島の岩礁に襲いかかっていったのはきみだ、アマゾネスの腰帯をひきちぎり、山の上で熊と戦ったのはきみだ。母親に炎のなかで焼きをいれられた赤ん坊なんて、きみくらいのものだ。きみは剣だ、槍なんだよ、アキレウス。
アキレウス: 炎のなかを除いては、きみはいつだってぼくといっしょにいたね。
パトロクロス: まるで雲のあとを影がついてくるみたいにね。ペイリトオスといっしょにいるテーセウスみたいにね。ひょっとしたら、アキレウス、きみのことを待ちかまえている一日があるのかもしれないよ、ぼくを自由にするために、きみもハデスにやってくる、そんな一日が。そしてぼくらは、こういったことをまた目にするんだろうね。
アキレウス: ハデスが存在しなかったころのほうがよかったよ。あのころ、ぼくらは森や急流へ足を運び、汗を水で洗い流す、少年だった。あのころ、すべての身ぶり、すべてのしぐさが遊びだった。ぼくらは記憶だった、そしてだれもが無知だった。ぼくらに勇気があったかって? わからない。そんなのはどうでもいいことさ。ぼくが知っているのは、ケンタウロスの山の上には、夏があったということ、冬があったということ、人生の全てがあったということ。ぼくらは、不死だった。
パトロクロス: でもそのあとにやってきたのは、いちばんひどいこと。やってきたのは、危険、そして死。こうしてぼくらは、戦士になったんだ。
アキレウス: ひとはさだめからは逃れようがないのさ。それにぼくは、じぶんのむすこを目にすることもなかった。デイダメイアも死んでしまった。ああ、どうしてぼくは、女たちのあいだにまぎれたまま、島にとどまらなかったんだろう?
パトロクロス: そうしたらきみには、乏しい記憶が残されたことだろうね、アキレウス。少年でありつづけたことだろうね。苦しみのほうがましじゃない、いなかったことになるよりは。
アキレウス: でも人生がこんなものだなんて、だれもきみに言ってくれはしなかっただろう? …ああ、パトロクロス、人生はこんなものなのさ。ぼくらはいちばんひどいことを目にしなければならなかったんだ。
パトロクロス: ぼくは明日、戦場へ出ていくよ。きみといっしょにね。
アキレウス: まだぼくが出ていく日じゃないさ。
パトロクロス: それならぼくはひとりでいくよ。そしてきみが恥ずかしくなるように、きみの槍を持っていくんだ。
アキレウス: ぼくはまだ生まれていなかったのさ、トネリコの木が切り倒されたときには。見てみたいなぁ、あとに残った、森の空き地を。
パトロクロス: 戦場に加わりなよ、そうすればきみにふさわしいのは槍であることが、見えてくるから。敵の数だけ、切り株があるんだもの。
アキレウス: 船はまだ燃えていないよ。
パトロクロス: ぼくはきみのすねあてときみの盾を身につけていくよ。きみはぼくの腕のなかにいるんだ。だれひとり、ぼくにかすることもできはしないだろうね。遊んでいるみたいに思えるだろうね。
アキレウス: きみはほんとうに、酒を飲む子どもさ。
パトロクロス: ケンタウロスとかけまわっていたころは、アキレウス、きみは記憶のことなど考えもしなかったじゃない。そしてきみは、今晩のきみよりも不死であったわけではないんだよ。
アキレウス: ただ神々だけが運命を知り、そして生きているのさ。でもきみは、運命ごっこをして遊んでいるんだ。
パトロクロス: ぼくといっしょにもっと飲みなよ。そして明日になったら、ひょっとしたらハデスのなかで、ぼくらはまた、そう口にするだろうね。

(翻訳・持田 睦)
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2009年09月13日

「パヴェーゼ文学集成」の第6巻について

(2009/9/18修正)

 「パヴェーゼ文学集成」の第6巻を、早速発売日の翌日に入手した。

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 目当てはもちろん河島英昭氏によってなされている『レウコとの対話』の全訳だ。僕自身、現在『レウコとの対話』の翻訳を試みていることもあり、河島氏の翻訳と僕の翻訳を照らし合わせることを、「パヴェーゼ文学集成」の出版の決定以来、ずっと楽しみにしていた。それから解説にも期待を寄せていた。1981年の11月に発売された雑誌「海」には「神々のたくらみ」の」タイトルのもと、7編の対話の翻訳に加え、たいへん熱情的な解説が掲載されていて、『レウコとの対話』の存在を知った当初は貪るように読んだものだった。

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 ただ失礼を省みずに率直に言えば、その翻訳も解説も、熱情に流されるあまりやや荒削りになっており、いくつかの誤りも目についた。今回の「パヴェーゼ文学集成」において、そうした点がいかに修正されているのか注目して読んでみたが、残念なことに「海」に掲載された対話の翻訳と解説は、ほとんどそのままの状態で「文学集成」に移行されているようだった(自死の直前にラヨーロに宛てられた手紙の件はさすがに抹消されていたが。これに関しては「michiyoさんの記事」をご参照あれ)。

 たとえば四半世紀以上前に書かれた解説には、次のような一節がある。

 「そのころまでは、すなわち人間と神々と野性の存在とが同等であったころまでは、人間にとって死は生と同じようにひとつの持物にすぎなかった。換言すれば、死も生も人間が自由に扱える属性であった。もしも彼からその自由を奪えば、人間は単なる人間になるであろう。そしてそのとき、人間は死すべき者となり、他方で神々は不死の者となった。」(「文学集成」第6巻、495頁)

 「人間から死の自由を奪うことにより、人間は初めて死すべき者となる」という奇妙な思想が『レウコとの対話』に本当に含まれているのだろうか。なるほど、河島氏の以下の翻訳を読むと、そうした思想が含まれているのかもしれないと思えてくる。

 「わかってね、イクシーオーン。かつてはあなたたちの勇気であった死が、持物のようにあなたたちから奪われてしまったのよ。わかっているの?」(「文学集成」第6巻、219頁)

 「ああ、イクシーオーン、イクシーオーン、あなたの運命は定められてしまったのよ。いまではあなたにもわかるはずだわ、山々の上で何が変わったか。あなたも変わってしまった。それなのにあなたは自分が人間以上の何かだと思っているのね。」(「文学集成」第6巻、220-221頁)

 注目すべきは、下線部である。まずは前者から。

 「奪われてしまった」の箇所は完全に誤訳だ。原文では下線部は「può esservi tolta」と書かれているが、これは英語に直すと「can be taken from you」となる。河島氏の翻訳は時制が不正確である上に、助動詞の存在が無視されていることがお分かりいただけるだろう。ちなみに僕の翻訳では以下の通りだ。

 「死ってのはね、いままではあんたたちの肝ったまをおおきくしてくれてたんだけど、その死が、だいじなものをとられちまうみたいに、あんたたちから奪われちまうかもしんないの。」

 パヴェーゼがここで言わんとしているのは、死すべき者が、文字通り死を奪われて、死の世界にも生の世界にも属さない影のような存在にされてしまうことである。「死すべき者となる以前の人間から死が奪われる」という奇妙な思想は、パヴェーゼの思想ではなく、河島氏によって作り出された河島氏の思想なのだ。

 つづいて後者。

 「それなのに」の箇所は、原文では「E」である。英語の「And」を意味するこの接続詞はなるほど、文脈によっては「逆接」の接続詞として機能することもあるが、ここでは素直に「順接」の接続詞として翻訳するのが普通かと思う。ちなみに僕の翻訳は以下の通りだ。

 「ああ、イクシオン、イクシオン、あんたのさだめは、はっきりしちまった。お山の上でなにが変わっちまったのか、あんたはいま、知ってる。そいで、あんたも、変わっちまった。そいで、あんたは、じぶんがにんげん以上のなにかになったと、信じこんでる。」

 パヴェーゼがここで言わんとしているのは、かつて混沌の世界の中で暮らしていた人間は、不死なる者を頂点とする階級構造を知ると、不死の光に目をくらまされて、おのれの死すべき本質をないがしろにするようになるということである。これは「人間は死すべき者になってしまったのに、生意気にも、不死なる者になろうとしている」という河島氏の解釈とは大きく異なる。

 上記の二つの河島氏の誤訳と、その根底にある河島氏の思想「死すべき者となる以前の人間から死が奪われる」が、「文学集成」の出版に際して見直されることがなかったのは不幸なことであるが、個人全訳である以上、こうした見落としはいたしかたないかと思う(思い込みから抜け出るためには、他者の視点が必要不可欠だ)。ただ『レウコとの対話』のタイトルを、『異神との対話』に変更しているのは、さすがにやりすぎではないか。

 「『レウコとの対話』よりは、『異神との対話』のほうが、わが国の読書会には、原作者の真意をより深く反映させるであろうと信じて、書名を改めた。」(「文学集成」第6巻、524頁)

 と河島氏は言うが、僕の趣味判断とは完全に一致しない発言だ。僕が『レウコとの対話』を手にしたのは、ストローブ=ユイレの映画に浮かんだ「レウコ」の名前が何とも不思議で魅力的だったから。最高のタイトルだと僕は思うのだが…。

 河島氏による『レウコとの対話』の翻訳が出版されたら、僕の『レウコ』翻訳はひとまずやめにしようと思っていたが、その気持ちも揺らぎだしている。例えば第26話「詩女神」の翻訳を河島氏の「美神」と比べてみると、僕の翻訳の方が誤訳も少なく、分かりやすいように思う。その理由は、僕が、僕一人で翻訳していないからだ。「英訳」「独訳」、そして「仏訳」

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 さらには「ユイレのフランス語字幕」

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 そして「自然の中での対話」。こうした全てとともに「僕らの翻訳」はある。少なくとももう何編かは訳してみることにしよう。

(持田 睦)
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2009年07月19日

第11話 断崖

 以下に掲載するのは、パヴェーゼの『レウコとの対話』の第11話(1946年1月5日-8日筆)になります。舞台化の際には、この翻訳を下訳として、より適切な日本語に改める予定です。
(持田 睦)


断崖
(09/11/30更新)

 世界の歴史において、いわゆる巨人時代は、人間たちや怪獣たち、それにオリュンポスでいまだ秩序づけられずにいた神々たちが住みついている時代だった。それどころか、あるものは、怪獣たち―すなわち異形で獣のような身体に閉じ込められた知性のほかは、なにも存在しなかったとさえ考えている。ここから生じるのは、怪獣殺しの多くは―ヘラクレスを筆頭として―同胞の血を流していたのではないかという疑惑である。

(ヘラクレスとプロメテウスの対話)

ヘラクレス: プロメテウス、あんたを自由にするために、おれはやってきたぞ。
プロメテウス: そのことなら分かっている、おれはおまえを待っていた。礼を言わねばなるまい、ヘラクレス。おまえはここまで登ってくるのに、ひどい道を進んできた。しかしおまえは知らないのだな、おそれとはなにであるかを。
ヘラクレス: あんたの状態のほうがひどいではないか、プロメテウス。
プロメテウス: おまえは本当に知らないのだな、おそれとはなにであるかを? そんなことがあるとは思えないのだが。
ヘラクレス: もしおれがしなければならないことをしないでいることがおそれであるなら、それならおれはこれまでにおそれを感じたことはない。でもおれは人間だ、プロメテウス、おれがしなければならないことを、いつでも知っているわけではない。
プロメテウス: 人間とはあわれみとおそれだ。それ以外のなにものでもない。
ヘラクレス: プロメテウス、あんたはおしゃべりをしておれをもてなしてくれるが、過ぎていくどの一瞬も、あんたの責め苦はつづいている。あんたを自由にするために、おれはやってきたんだぞ。
プロメテウス: そのことならわかっている、ヘラクレス。そのことならおまえが産着にくるまれた赤ん坊にすぎなかったころから、おまえがまだ生まれていなかったころからすでにわかっていた。だがおれの身に起きているのは、ある場所で―牢獄や、流刑地や、危険なところで―ひどく苦しんできて、そこから逃れ出る瞬間が訪れるときも、この一瞬を通り過ぎて、苦しめられた日々を後にする決心ができずにいる人間に起きていることと似ているのだ。
ヘラクレス: あんたのいる断崖からあんたは離れたくないのか?
プロメテウス: ここから離れなければならないさ、ヘラクレス―おまえを待っていたと、おれは言っているじゃないか。だが瞬間が、人間に対するのと同じように、おれに対して重くのしかかってくる。ここではひどく苦しめられるということが、おまえにはわかるな。
ヘラクレス: あんたを目にすれば十分さ、プロメテウス。
プロメテウス: 死にたくなるほどまでに、苦しめられるのだ。いつの日かおまえにもこのことがわかるだろう、そして断崖を登ることになるのだ。だがおれは、ヘラクレス、死ぬことができない。おまえだって、やはり、死なないだろう。
ヘラクレス: どういうことだ?
プロメテウス: おまえを神がかっさらうだろう。というよりも、女神が。
ヘラクレス: おれにはわからないな、プロメテウス。じゃあ、あんたを解放させてもらうぞ。
プロメテウス: そしておまえは子どものように、厚い感謝の気持ちでいっぱいになり、不公平や労苦を忘れ、天の下で生きることになるのだ、神々を、あのものたちの英知と善良を讃えながら。
ヘラクレス: すべてのものごとは、あのものたちに由来しておれたちのところにあるのではないのか?
プロメテウス: ああ、ヘラクレス、もっと昔から存在する英知があるのだ。世界は古い、この断崖よりも古い。そしてあのものたちもそれを知っている。すべてのものごとには運命がある。だが神々は若い、ほとんどおまえと同じくらい若いのだ。
ヘラクレス: あんたもあのものたちのなかのひとりではないのか?
プロメテウス: ふたたびそうなるだろう。そのように運命は望んでいる。だがかつてはおれはティタンであり、神々のいない世界で暮らしていたのだ。そんなこともかつては起こったのだ…。おまえにはそうした世界を思い浮かべることはできないのか?
ヘラクレス: それは怪獣の世界や混沌の世界ではないのか?
プロメテウス: ティタンの世界と人間の世界だ、ヘラクレス。獣の世界と森の世界。海の世界と空の世界。今あるおまえを作り上げた、闘いの世界と血の世界だ。最後の神、不公平極まりない神までもが当時はティタンだった。今ある世界においても未来の世界においても、すぐれたものでティタンの一族でなかったものはいないのだ。
ヘラクレス: それは断崖の世界であったのだな。
プロメテウス: だれもが断崖を持っているではないか、おまえたち人間は。それゆえにおれはおまえたちを愛したのだ。だが神々は断崖を知らないものたちだ。あのものたちは笑うことも泣くことも知らない。あのものたちは運命を前にして微笑むのだ。
ヘラクレス: あんたの身動きをとれなくしたのはあのものたちだったってことか。
プロメテウス: ああ、ヘラクレス、勝利を得るものはいつでも神だ。ティタン人(びと)は、闘い抵抗するかぎり、笑ったり泣いたりすることができる。そしてもしあのものたちがおまえの身動きをとれなくするならば、もしおまえが山を登るならば、これこそが運命がおまえに認めてくれる勝利なのだ。おれたちはそのことに感謝しなければなるまい。勝利とは、もしそれが行為となってあらわれるあわれみ、みずからを犠牲にして他のものたちを救うあわれみでなかったとしたら、いったい何であろうか? 運命のおきてのもとでは、だれもが他のものたちのために働いている。おれ自身、ヘラクレス、今日もし自由になるのだとしたら、それはだれかのおかげを被っているのだ。
ヘラクレス: おれはもっとひどい目にあってきたぜ、それにまだあんたを自由にしてもいないし。
プロメテウス: ヘラクレス、おれはおまえのことを話しているのではない。おまえはあわれみ深く、勇敢だ。だがおまえの職分ならば、おまえはすでに果たしている。
ヘラクレス: おれはなにもしていないぞ、プロメテウス。
プロメテウス: おまえは死すべきものではないということになる、もしおまえが運命を知っているなどということがありえたならば。だがおまえは神々の世界で生きている。そして神々はそうした知識まで、おまえたちから奪い去ってしまったのだ。おまえはなにひとつ知ることなく、すべてのものごとをすでにやり遂げている。ケンタウロスのことを思い出してみるがいい。
ヘラクレス: 今朝おれが殺めた、獣人(けものびと)のことか?
プロメテウス: 殺めることはできない、怪獣たちは。そんなことは神々であっても無理だ。やがておまえには、かつて怪獣をもう一匹、もっと野蛮な怪獣を殺めていたことを思う、そうした日がやってくるだろう、そしておまえは、ただおまえの断崖を準備していたにすぎなかったということになるだろう。今朝おまえが打ち倒したのがだれか、おまえはわかっているか?
ヘラクレス: ケンタウロスさ。
プロメテウス: おまえが打ち倒したのは、ティタンや死すべきものたちに対してあわれみ深く、善良である友人ケイロンだ。
ヘラクレス: ああ、プロメテウス…。
プロメテウス: そのことを悔やんではいけない、ヘラクレス。おれたちはみな、同じ運命を担っている。自分のために血を流してくれるものがいなかったら、だれひとり自由にはなれないというのが世界のおきてだ。それと同じことが、おまえの身にも起こるだろう、オイテーの山上で。それにケイロンはわかっていたのだ。
ヘラクレス: あんたはかれが身を捧げたのだとでも言いたいのか。
プロメテウス: もちろんだ。火を盗むことは、おれの断崖になることを、むかしおれがわかっていたのと同じように。
ヘラクレス: プロメテウス、あんたを解放させてもらうぞ。そしたらおれにすべて話してくれ、ケイロンのことを、それからオイテーの山のことを。
プロメテウス: おれはもうすでに解放されている、ヘラクレス。おれには解放される可能性があったのだ、他のものがおれの持ち場を引き受けてくれたならば。そしてケイロンは、定めが遣わしたおまえによって、矢を射抜かれた。だが混沌から誕生したこの世界の中、君臨しているのは正義のおきてだ。あわれみや、おそれや、勇敢さは、ただの小道具にすぎない。なされてしまったことで、くりかえされないことなどないのだ。おまえがかつてまき散らしてきて、これからもまき散らすであろう血は、おまえの死を死んでいくために、おまえをオイテーの山の上へと至らしめる。それは怪獣たち、おまえがその退治をするために生きている、怪獣たちの血なのだ。そしておまえは積み上げられた薪のうえに登っていくだろう、おれが盗んできた火で点火された薪のうえに。
ヘラクレス: でもおれは死ぬことができないと、あんたはおれに言ったじゃないか。
プロメテウス: 死はこの世界に、神々とともに入ってきた。おまえたち死すべきものが死をおそれるのは、神々という肩書きでもって、あのものたちが不死であることを理解しているからだ。だがだれしもが、じぶんにふさわしい死を持っているもの。あのものたちもまた、終わりを迎えるのだ。
ヘラクレス: なんだって?
プロメテウス: すべてを口にするわけにはいかない。だが怪獣たちは死ぬことがないということは、いつでも覚えておくがいい。死んでしまうのは、あのものたちがおまえに抱かせているおそれ。神々とはこうしたもの。死すべきものたちがもはやおそれを抱くことがなくなれば、神々はなくなってしまうのだ。
ヘラクレス: ティタンたちが戻ってくるのか?
プロメテウス: 岩石や森林は戻ってこない。いまもあるのだ。かつてあったものは、これからもありつづけるだろう。
ヘラクレス: それでもあんたたちは、鎖につながれたじゃないか。あんただって。
プロメテウス: おれたちは名前であって、ほかの何ものでもない。わかってくれ、ヘラクレス。そして世界には畑や大地のように季節があるのだ。夏は戻ってくる、冬は戻ってくる。森林が消えてなくなるだの、そのままでありつづけるだの、口にできるものがいるだろうか? おまえたちはティタンになるのだ、まもなく。
ヘラクレス: おれたち死すべきものがか?
プロメテウス: おまえたち死すべきもの―あるいは、不死なるもの、それはどうでもよい。

(翻訳・持田 睦)
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2009年05月22日

第22話 ぶどう畑

 以下に掲載するのは、パヴェーゼの『レウコとの対話』の第22話(1946年7月26日-31日筆)になります。舞台化の際には、この翻訳を下訳として、より適切な日本語に改める予定です。
(持田 睦)


ぶどう畑
(09/9/16更新)

 迷宮の冒険のあと、テーセウスに捨てられたアリアドネーは、インド帰りのディオニュソスにナクソス島で拾われることになり、その終わりを天空で、星座に囲まれて迎えたのであった。

(レウコテアーとアリアドネーの対話)

レウコテアー: まだまだたっぷりと泣くつもりなのかしら、アリアドネー?
アリアドネー: あら、あなたは、どこからやってきたの?
レウコテアー: あなたと同じ、海からよ。それはそうと、泣くのはやめにしたの?
アリアドネー: もうひとりぼっちじゃないから。
レウコテアー: あなたたち死すべき女ってのは、だれかが耳を傾けているときにだけ泣くもんだと思ってたわ。
アリアドネー: ニンフにしては、あなたって意地悪なのね。
レウコテアー: それで、かれも出ていってしまったの? どうしてかれは、あなたを置いていってしまったんだと思う?
アリアドネー: あなたはじぶんがだれなのか、わたしに言ってくれていないわ。
レウコテアー: あなたがなしえなかったことをやってのけた女よ。海で自殺しようとしたの。わたしの名前はイーノだったわ。ひとりの女神さまがわたしを救ってくれたのね。今ではわたしは、島のニンフなのよ。
アリアドネー: わたしに何の用?
レウコテアー: そんな風にわたしに話すってことは、あなたはもう分かってるってことね。わたしがやってきたのは、美しい言葉とすみれ色の巻き毛を持つあなたの愛しい男の子が、永遠に出ていってしまったってことを、あなたに伝えるため。かれはあなたを捨ててしまったの。消えていった黒い帆が、あなたにかれが残してくれる最後の思い出になるのでしょう。駆けつけなさいな、声をあげなさいな、じたばたなさいな、どうせ手おくれなんだから。
アリアドネー: あなたも捨てられてしまったのは、あなたが自殺しようとしたからなの?
レウコテアー: わたしのことはどうでもいいの。でもあなた、わたしがする話の相手としてはふさわしくないわ。あなたって馬鹿だし、強情だもの。
アリアドネー: ねえ、海のニンフさん、あなたがわたしに話さなければいけないことが何なのか、わたしにはわからないわ。あなたは言葉が足りていないのか、それとも言い過ぎているのか。もしわたしが自殺したくなったとしても、わたしはじぶんひとりでやれると思うわ。
レウコテアー: いいかしら、お馬鹿ちゃん。あなたの苦しみなんて、なんでもありゃしないのよ。
アリアドネー: わたしにそんなことを言うために、あなたはやってきたの?
レウコテアー: どういうわけで、かれはあなたを置いていってしまったんだと思う?
アリアドネー: ああ、ニンフさん、そのことはやめてちょうだい…
レウコテアー: さあ、お泣きなさいな。そうすれば少なくとも、気持ちは楽になるんだから。お話するのはおやめなさいな、無駄なんだもの。そうすれば愚かさとごう慢さは、どこかへ行ってしまうんだから。そうすればあなたの苦しみは、その実際の姿で現れるんだから。でもあなたの心が張り裂けてしまわないかぎりは、あなたが雌犬のように吠え、燃えている木のように海のなかで消えようとしないかぎりは、苦しみを知っているなんてことを口にすることはできないでしょうね。
アリアドネー: もう張り裂けてしまった…わたしの心…
レウコテアー: 泣いてるだけでいいのよ、お話はしちゃ駄目…あなたは何も知らないんだから。別のお方が、あなたのことを待ってるのよ。
アリアドネー: あなたは今、なんていうお名前なの、ニンフさん?
レウコテアー: レウコテアーよ。わかってちょうだい、アリアドネー。黒い帆は永遠に出ていってしまったの。この物語りはおしまいを迎えてしまったんだわ。
アリアドネー: おしまいを迎えるのは、わたしの人生のほうよ。
レウコテアー: 別のお方が、あなたのことを待ってるのよ。あなたってお馬鹿なのね。あなたはあなたの土地で、神さまのことはだれも敬っていなかったの?
アリアドネー: いったいどの神さまなら、わたしのところに船を連れ戻すことができるって言うの?
レウコテアー: わたしがあなたに聞いているのは、どんな神さまをあなたは知っていたのかってことよ。
アリアドネー: わたしの故郷にはね、船乗りの人たちも恐れをなしていた山があるの。その上で偉大なる神々は誕生したんだわ。わたしたちはかれらを崇拝しているのよ。わたしはもう、かれら全員の名前を呼んでお祈りをしたんだけれど、だれもわたしを助けてくれないんだわ。わたしはどうしたらいいの? あなた、言ってちょうだいな。
レウコテアー: あなたは神々になにを期待しているの。
アリアドネー: もうなんにも期待なんかしてないわ。
レウコテアー: それじゃあ、聞いてちょうだい。とあるお方が動き始めたのよ。
アリアドネー: あなたはなにが言いたいの?
レウコテアー: あなたに話すことがあるとしたら、とあるお方が動き始めたってこと、それだけよ。
アリアドネー: あなたなんて、ただのニンフのくせに。
レウコテアー: 一介のニンフが、偉大なる神さまの来訪を告げるのかもしれなくてよ。
アリアドネー: だれなの、レウコテアー、いったいだれがやってくるっていうの?
レウコテアー: あなたが考えてるのは神さまのこと、それともきれいな男の子のこと?
アリアドネー: わたしにはわからないわ。あなたはなにを言ってるの? わたしは神々にひれ伏しているわ。
レウコテアー: じゃあ、あなたはわかっているのね。来訪するのは新しい神さまよ。すべての神さまのなかでいちばん若い神さま。かれはあなたのことを目に入れたことがあって、あなたを気に入っているの。名前はディオニュソスって言うのよ。
アリアドネー: わたしは知らないわ。
レウコテアー: かれの生まれはテーバイで、世界を歩き回っているの。喜びの神なのよ。みんながかれの後について行き、拍手喝采でかれを迎えるわ。
アリアドネー: 力は強いの?
レウコテアー: かれは笑いながら殺すわ。雄牛と虎を従えているのよ。かれの一生はお祭りで、あなたを気に入っているの。
アリアドネー: でもどうやってわたしのことを目にしたの?
レウコテアー: それはだれにもわからないわ。あなたはこれまでに、海沿いの丘の斜面にあるぶどう畑に行ったことがあるかしら、土地がその香りを放つ、ゆったりとした時のなかを。いちじくと松のあいだの、きつくてなかなか消えない香り。ぶどうが熟し、空気がその液で重たくなるとき。あるいはあなたはこれまでに、ざくろの木を、その果実と花を目にしたことがあるかしら。ディオニュソスはそこに君臨しているんだわ、木蔦の涼しさにつつまれ、松林のなか、麦打ち場のうえで。
アリアドネー: 神々がわたしたちのことを目にすることがないくらい、ひと気のない場所はないの?
レウコテアー: ねぇあなた、神々は、場所なのよ、ひと気のなさなのよ、過ぎていく時間なのよ。やがてディオニュソスはやってくるわ、そしてあなたは、麦打ち場のうえやぶどう畑のなかを過ぎていく、あのつむじ風のような強い風に、さらわれていくような思いをすることになるんだわ。
アリアドネー: かれはいつやってくるの?
レウコテアー: ねぇ、わたしはかれの来訪を告げているのよ。船が立ち去ったのはそのためなんだわ。
アリアドネー: それで、だれがそのことを、あなたに教えてくれたの?
レウコテアー: わたしはテーバイの生まれよ、アリアドネー。わたしはかれのお母さんの妹なの。
アリアドネー: わたしの故郷では、神々はイーダの山で誕生したって言われているわ。死すべきものはだれひとり、はるかかなたにある森の向こう側までは登っていかなかった。あなたの話したことを認めるなんて、わたしにはできそうもないわ。
レウコテアー: あなたはずいぶんと思い切ったことをしたことがあったじゃない、おちびちゃん。あなたにとっては、すみれ色の巻き毛を持つあのひとは、神さまみたいなひとだったんでしょ?
アリアドネー: そっちの神さまだったら、わたしは命を救ってあげたんだもの。こっちの神さまについては、わたしがなにをしてあげたっていうのかしら?
レウコテアー: たくさんのことをしてあげたわ。あなたは体を震わせ、苦しんだじゃない。死ぬことを考えたじゃない。覚醒とはなにかを知ったじゃない。今、あなたはひとりきりで、神さまを待っているんだわ。
アリアドネー: それで、かれはどんな様子なの? ひどく残酷なの?
レウコテアー: 神々はみんな残酷よ。それがどうしたの? 神聖な事がらはすべて残酷じゃない。抵抗するはかない存在を撲滅するんだわ。あなたはもっと強く覚醒するために、眠気に屈しなきゃいけない。神さまはだれだって、嘆き悲しむことを知らずにいるのよ。
アリアドネー: テーバイの神さま…あなたのこの…かれは笑いながら殺すって、あなたは言ったわよね?
レウコテアー: かれに抵抗するものを、ね。かれに抵抗するものは無と帰してしまう。でもほかのものに対しては、それほど残酷じゃないわ。微笑むことが、かれにとっては、呼吸することみたいなものなのよ。
アリアドネー: かれは死すべきものたちと変わらないのね。
レウコテアー: これもまた覚醒なのよ、お嬢ちゃん。場所を愛し、水の流れを愛し、日中のひとときを愛するのと似たことが、これから起こるんだわ。人間にはだれひとり、それだけのことはできやしない。神々は、じぶんたちを神々にしてくれる事がらが永くつづいていくかぎり、じぶんたちも永くつづいていくのよ。松とぶどう畑のあいだで山羊が飛び跳ねているかぎり、あなたはかれを気に入るでしょうし、かれはあなたを気に入るでしょう。
アリアドネー: わたしは死ぬのね、すべての山羊たちのように。
レウコテアー: ぶどう畑のうえには、夜、星も出るわ。あなたのことを待っているのは、夜に活動する神さまなの。怖がらないでね。

(翻訳・持田 睦)
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2009年05月14日

第16話 島

 以下に掲載するのは、パヴェーゼの『レウコとの対話』の第16話(1946年9月8日-11日筆)になります。舞台化の際には、この翻訳を下訳として、より適切な日本語に改める予定です。
(持田 睦)


(09/9/13更新)

 故国へ帰る途上、難船にあったオデュッセウスが九年間、オーギュギエー島にとどまったことは広く知られている。その島には古い女神であるカリュプソーのほかは、だれもいなかった。

(カリュプソーとオデュッセウスの対話)

カリュプソー: オデュッセウス、ちがいなんて大してありゃしない。あなただってわたしと同じで、ひとつの島にずっといたいのよ。あなたはありとあらゆるもの目にし、ありとあらゆることに苦しんできた。わたしもきっといつか、わたしが苦しんできたことをあなたに話してあげる。わたしたちはふたりとも、とんでもない運命にはもううんざりじゃない。どうして旅をつづけなきゃならないのよ。この島があなたの探し求めていた島でないからと言って、それがなんなのよ。ここだったら、なんにも起こらないのよ。あるのは地べたがほんの少しと水平線だけ。ここだったら、あなたはいつまでも生きていられるのよ。
オデュッセウス: 不死なるものの暮らしか。
カリュプソー: 不死なるものって、瞬間を引き受けるもののことよ。明日のことなんてもはや知らないもののことよ。でもその言葉があなたのお気に召すんだったら、それを口にしなさいな。あなたはほんとうに、そんな境地にいるの?
オデュッセウス: ぼくは不死なるものとは、死ぬことを恐れないもののことだと思っていたんだけれど。
カリュプソー: 生きることを望まないもののことよ。確かに、あなたはもうほとんどその状態だわ。あなたもたくさん苦しんできたのね。なのにどうして、あなたはしきりにお家に帰りたがるの。あなたはずっとそわそわしてる。どうして、岩礁のあいだで、自分ひとりとお話しつづけるほうがいいのよ。
オデュッセウス: もしぼくが明日出ていったら、きみは不幸せになるかな。
カリュプソー: 余計なことを知りたがるのね、あなたったら。わたしは不死なるものだとするわよ。でも、もしあなたが、あなたの記憶や夢をあきらめることもなく、熱望を静めることもなく、水平線を引き受けることもないのなら、あなたは自分が知っているあの運命の外に出ることもないのよ。
オデュッセウス: いつだって、水平線を引き受ける話ばかり。それで、なにが手に入るの。
カリュプソー: そうね、頭をもたせかけて落ち着くことと沈黙することが手に入るわね、オデュッセウス。あなたはこれまでに、どうしてわたしたちも眠りを探し求めるのか、自分に尋ねてみたことはあって? あなたはこれまでに、この世の中から気づかれずにいる古い神々がどこへ行くのか、自分に尋ねてみたことはあって? どうして、時間のなかに沈んでいってしまうのかって、石が地べたのなかに沈んでいくみたいに、石は永遠であるっていうのに。それから、わたしはだれなの、カリュプソーってだれなのって、尋ねてみたことはあって?
オデュッセウス: ぼくがきみに尋ねたのは、きみが幸せかどうかってことなんだけど。
カリュプソー: そういうことじゃないの、オデュッセウス。空気が、ただ海と鳥の声が鳴り響くばかりのこの見捨てられた島の空気までが、あまりにもからっぽなのよ。このからっぽのなかには、よく見てちょうだい、嘆き惜しまなきゃいけないことなんてなんにもないわ。でもあなただって何日かは、静寂、休止を感じているんじゃないかしら、まるで古くに、消えてなくなってしまった緊張と存在の痕跡であるような、静寂、休止。
オデュッセウス: それじゃあ君も、岩礁に話しかけているの?
カリュプソー: わたしが言ってるのは、静寂があるってこと。それは、はるか遠くにある、ほとんど死のようなもの。むかしはあったけれど、これからはもうありえないもの。神々の古い世界のなか、わたしの身ぶりが運命だったころにあったもの。わたしにはむかし、恐ろしい名前がいくつかついていたのよ、オデュッセウス。地べたも海も、わたしに服従していたんだわ。で、わたし、うんざりしちゃったのよ。時間が過ぎ、わたしはもう動きたくなくなってしまったの。わたしたちのなかには、新しい神々に逆らったものもいたわ。わたしはね、名前が時間のなかに沈んでいくのを放っておいたの。なにもかもが変わり、のっぺりになったわ。運命のために、新しいものたちとけんかしたって、くたびれもうけの骨折り損よ。わたしはやっと、自分の水平線を、古いものたちがわたしたちとけんかしなかった理由を知ったんだわ。
オデュッセウス: 君はむかし、不死なるものじゃなかったってこと?
カリュプソー: いまもむかしも不死なるものだわ、オデュッセウス。わたしは死にたくない。そして生きていたくもない。わたしは瞬間を引き受けるのよ。あなたたち、死すべきものたちを待ちかまえているのは、年老いていくことや嘆き惜しんだりすること、そんなことだわ。あなたもわたしのように、この島に頭をもたせかければいいじゃない。
オデュッセウス: そうしたいな、もしきみが観念してるって、ぼくに思えるんだったら。でも、かつてはありとあらゆるものの主人であったというきみだって、きみの忍耐の助けとするために、ぼくを、死すべきものを必要としているじゃない。
カリュプソー: おたがいのためになることなのよ、オデュッセウス。ほんとうの静寂は、分かち合われることなしには存在しないんだわ。
オデュッセウス: いままさに、ぼくがきみといっしょににいるだけでは不十分なの?
カリュプソー: あなたはわたしといっしょにいてくれてなんかいないじゃない、オデュッセウス。あなたはこの島の水平線を引き受けてくれないもの。それであなたは、嘆き惜しむことを免れないんだわ。
オデュッセウス: ぼくが嘆き惜しんでいるものが、ぼくのなかの生きている部分なんだ、ちょうどきみにとっては、きみの静寂がそうであるのと同じようにね。きみにはいったいどんな変化があったというの、地べたと海がきみに服従していたあの日から。きみはひとりぼっちだと、うんざりしてしまったと感じ、きみの数ある名前を忘れてしまった。なにひとつ、きみからは奪われることはなかった。いまあるきみに、きみはなりたかったのさ。
カリュプソー: いまあるわたしはほとんど無だわ、あなた。ほとんど死すべきものなのよ、あなたと同じでほとんど影なの。いつ始まったのかだれも知らない長い眠りがあって、あなたは夢と同じく、この眠りのなかにたどりついたんだわ。わたしは夜明けを、目覚めを恐れている。もしあなたが行ってしまったら、やってくるのは目覚めなのよ。
オデュッセウス: きみらしくないよ、女主人さん、そんな話し方をするなんて。
カリュプソー: わたしは目覚めを恐れているの、あなたが死を恐れているみたいに。そうだったのね、以前のわたしは死んでいたってことが、いま分かったわ。わたしに関するもので、この島に残されていたのは、海の音と風の音だけだったのね。ああ、苦しみもなかったんだわ。わたしは眠っていたんだもの。でもあなたがたどりついたときから、あなたのなかにある別の島が持ちこまれてしまっていたんだわ。
オデュッセウス: ずいぶん前から、ぼくはその島を探し求めているんだよ。きみは知らずにいるんだ、陸地の姿を認めようとして、毎回、みずからの目をあざむくために、薄目をあけるようなまねをするってことを。ぼくには引き受けることも、黙りこむこともできやしないよ。
カリュプソー: でもね、オデュッセウス、あなたたち人間は言ってるじゃない、失ったものを取り戻すのは、いつだって悪いことなんだって。過去は戻ってこないんだわ。時間の進行に耐えきれるものなんてなにもないもの。オケアノスや怪獣やエリュシオンの野を目にしたあなたが、家々を、あなたの家々を、いまでも見分けることができるのかしら。
オデュッセウス: きみはいつも言ってたじゃない、ぼくのなかにある島を、ぼくは持ちこんでいるって。
カリュプソー: ああ、島は変わってしまったの、失われてしまったの、静寂なの。岩礁のあいだでこだまする海の音や、わずかにたなびく煙なのよ。こうしたものをあなたと分かち合えるものはだれもいないでしょうね。家々は老人の顔つきと似てるでしょうね。あなたの言葉はかれらの言葉とはちがった意味を持つでしょうね。あなたは海にいるよりも、孤独でしょうね。
オデュッセウス: 少なくともそこに腰を落ち着けなきゃいけないことぐらい、ぼくには分かると思うよ。
カリュプソー: くたびれもうけの骨折り損よ、オデュッセウス。いま、即座に腰を落ち着けない人は、二度と腰を落ち着けることがないんだわ。あなたがいましていることを、あなたはいつでもすることになるのよ。あなたもいつかは運命を打ち砕かなきゃいけなくなり、道を外れて、じぶんを時間のなかに沈めこませなきゃいけなくなるのに…
オデュッセウス: ぼくは不死なるものじゃないんだけど。
カリュプソー: そうしたものになれるのよ、わたしの言うことを聞いてくれたら。永遠の生命がいったいなんだっていうのよ、もしもこうやって、近づいてくる瞬間と過ぎていく瞬間を引き受けるのでないのだとしたら。酔っぱらうのも、気持ちいいことをするのも、死ぬのも、ほかに目当てなんかないわ。あなたがいままで、落ち着くことなくさまよっていたのはどういうことだったのかしら?
オデュッセウス: それが分かっていたら、とっくにやめにしていただろうね。でもきみは、あることを忘れているよ。
カリュプソー: 言ってちょうだい。
オデュッセウス: ぼくが探し求めているものは、ぼくの心のなかにあるんだ、きみと同じようにね。

(翻訳・持田 睦)
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2009年04月14日

第10話 道

 以下に掲載するのは、パヴェーゼの『レウコとの対話』の第10話(1946年4月7日-12日筆)になります。舞台化の際には、この翻訳を下訳として、より適切な日本語に改める予定です。
(持田 睦)


(09/5/13更新)

 オイディプスは、スフィンクスに勝利し、イオカステと結婚した後に、キタイロンの山上でかれを救ってくれた羊飼いを尋問した際、自分が誰であるかを見出したということは、誰もが知っていることだ。それはすなわち、かれが父を殺害し、母と結婚するという神託が真実であったということであり、オイディプスは恐怖のあまり自ら盲目となって、テーバイの街の外に出て行き、浮浪者となって死んだのであった。

(オイディプスと物乞いの対話)

オイディプス: おれは他のものたちと同じたぐいの人間ではない、友よ。おれは定めによって、弾劾されているのだ。おれはおまえたちのもとで王権を握るために生まれてきた。おれは山育ちだ。山ややぐらを目にすると、おれは興奮した―あるいはちりにまみれて歩いているときに、街を遠くに目にしても。おのれの定めを探し求めることを、おれは知らずにいたのだ。今ではもう、おれはなにひとつ目に入れることもなく、山はただ、おれを疲弊させるばかり。おれのなすことはすべて、運命なのだ。分かるか。
物乞い: おれは年老いている、オイディプスよ、おれは、運命のほかにはなにも目にしてこなかった。それはそうとおまえは、他のものたちが―奴隷も、背中にこぶのあるものも、体が不自由なものも―おまえのようにかつてテーバイの王であったことを望まないとでも思うのか。
オイディプス: おれの言うことを分かってくれ、友よ。おれの運命は、なにかを失ってしまったということではなかった。おれを不安にしているのは、年齢でも体の不調でもない。おれはさらにもっと落ちぶれてしまいたいし、なにもかも忘れてしまいたい―それは万人に共通の定めだ。だが、オイディプスでは、ありたくないのだ、我知らず王権を握っていなければならなかった人間では、ありたくないのだ。
物乞い: おれには分からない。主人であり、食べて飲んで、寝台で眠っていたなんて、 ありがたいことではないか。死んだものは、もっとひどい有り様だ。
オイディプス: おれがおまえに言っているのは、そういうことではない。おれが悔やんでいるのは最初、まだおれがなにものでもなく、他のものたちと同じたぐいの人間でありえたころのこと。だが、だめだったのだ、運命が待ちかまえていたのだ。おれは出かけねばならず、よりによってテーバイにたどり着かねばならなかった。おれはあの年寄りを殺さねばならなかった。あの子どもたちをもうけねばならなかった。果たすだけの価値があるのだろうか、まだおまえが存在すらしなかったころに、すでに果たされてしまっているようなことを。
物乞い: 果たすだけの価値があるのだ、オイディプスよ。おれたちはせざるをえない、それで十分だ。残りのことは、神々に委ねるがいい。
オイディプス: おれの人生に神々はいない。おれの身に降りかかるものは、神々よりも残酷だ。おれはかつて、みなと同じように無知なまま、立派に行為しようと努めていた。夜、おれに慰めを、明日はもっと立派に行為し終えているという希望をもたらすかもしれない未知なる善行を、日々見い出そうと努めていた。不信心なものにさえ、この喜びが欠けることはない。おれのそばにあるのは、疑惑、不確かな噂、脅迫。はじめからただ神託だけが、悲しい言葉だけが存在し、おれはそれから逃れることを願った。あのすべての年月をおれは、逃亡者が襲撃にあうのを用心するかのように生きた。おれは大胆にも、ただおのれの考えだけを、闘いが中断した一瞬だけを、不意の目覚めだけを信じようとした。おれはいつも待ち受けていた。そして、逃げなかった。まさしくそういった瞬間に、運命は現実となっていた。
物乞い: しかし、オイディプスよ、みなにとって、そうしたものなのだ。これが運命という言葉のもつ意味なのだ。もちろん、おまえの境遇はひどくつらいものではあったが。
オイディプス: ちがうんだ、おまえは分かっていない、おまえは分かっていない、そういうことではないんだ。おれはもっとひどくつらいものであればいいと思っている。おれの果たしてきた行為が、おれの望んできたものであるならば、おれはもっとけがらわしく、もっとみじめな人間でありたいほどなのだ。実際はそのような被害を受けることもなく。別の行為を果たそうとして、成し遂げられたためしもなく。いったいオイディプスが、今なお何者であると言うのだ、おれたちみんな、何者であると言うのだ、おまえの血のなかでもっとも内密にされている欲望にいたるまで、おまえが生まれるよりも前になお存在しており、こうしたすべてのことがすでに言われていたのだとすると。
物乞い: おそらくは、オイディプスよ、しあわせな日々がおまえにもあったはずだ。おれが言っている日々とは、おまえがスフィンクスに対して勝利をおさめ、テーバイが街をあげておまえを拍手喝采とともに迎え入れたときのことでなければ、おまえに最初のむすこが誕生したときや、おまえが宮殿のなかで助言に耳を傾けながらいすに座っていたときのことでもない。こうしたことを、おまえがもはや考えることができないのは、わかっている。だがおまえだってやはり、みなが生きる生を生きたのだ。おまえは若く、世界を目にし、笑って、遊んで、話をし、分別を失うことはなかった。おまえは事物を、目覚めと休息を享受し、道をかっぽした。いまおまえが盲目であるのは、わかっている。だがおまえは、ほかの日々を目にしたことがあるのだ。
オイディプス: そのことを否定するのは狂気じみている。それにおれの人生は長いものであった。だが、もう一度、おまえに言っておこう、おれはおまえたちのもとで王権を握るために生まれてきた。熱があるものにとっては、もっとも美味な果実も、ただいらだちと吐き気ばかりを与えるもの。そしておれの熱とは、おれの運命だ―まったくもって周知のことがらを成し遂げるという恐れだ、絶え間のない恐怖心だ。おれには分かっていた―いつだって分かっていた―おれはリスみたいなものだということが。上に登っていると思っているけれど、ただひたすらかごを回転させているだけのリス。そしておれは自問するのだ。オイディプスとは誰だったのか、と。
物乞い: 大いなる、真なる主人、おまえは自分のことをそう呼んでいい。おれは道で、テーバイの門で、おまえのことを話しているのを耳にしていた。ひとびとのなかには、家を離れ、ボイオティアをぶらつき、海を目にし、そしておまえと同じ定めを手にするために、デルポイに足を運び、神託をうかがうものもいた。おまえの運命は他のものたちの運命を変えてしまうほど、奇異であったということだ。一方、いつもひとつの村で、ひとつの仕事を、毎日たったひとつの身ぶりだけをして暮らす男、ありふれた子どもとありふれた祭日があり、自分の父親と同じ齢にありふれた病で死んでいく男のことを、いったいどう呼んだらいいものか。
オイディプス: おれは他のものたちと同じたぐいの人間ではない、それは分かっている。だが奴隷や愚かものも、自分の日々がどうなるのか分かってしまったら、そこで見つかるあの貧弱な喜びに嫌気がさすだろうことも、おれには分かっている。おれと同じ運命を追い求めている哀れなものたちは、みずからの運命からはたして逃れているのだろうか。
物乞い: 人生とは大いなるものだ、オイディプスよ。おまえに話をしているおれも、哀れなものたちのひとりだったのだ。おれは家を離れ、ギリシアを歩き回った。デルポイを目にし、海にたどりついた。おれは出会いを、幸運を、スフィンクスを待ち望んでいた。おまえがテーバイの王宮でしあわせにしているのを、おれは知っていた。当時、おれはたくましい男だった。たとえスフィンクスが見つからなくても、どの神託も、おれのためには言葉を発してくれることがなかったとしても、おれは自分が過ごしている人生を気に入っていた。おまえがおれの神託だったのだ。おまえがおれの運命をひっくり返してしまったのだ。物乞いをしようが、王権を握ろうが、そんなことは問題でない。おれたちはふたりとも、生きてきたのだ。そのほかのことは、神々に委ねるがいい。
オイディプス: おまえは決して知ることはないだろう、おまえが果たした行為を、おまえが望んでいたのかどうかを…ところで、だれもいない道にはどことなく人間らしいところが、ひたすら人間らしいところがあるのは確かなようだ。その曲がりくねった孤独のなか、道はおれたちを空洞化するあの痛みの像のようだ。慰めのような痛み、蒸し暑さのあとにつづく雨のような―無言のまま穏やかに、事物から、心の奥底からとうとうと湧き出るように思われる痛み。この疲れ、この平和はおそらく、運命の騒々しさのあと、真におれたちのものであるところの唯一のものなのだ。
物乞い: むかし、おれたちは存在していなかったのだ、オイディプスよ。したがって、心の欲求も、血も、目覚めも、無から出てきたのだ。おれは今にでも口にしてしまいそうだ、運命から逃れようとするおまえの欲望もまた、それ自体が運命である、と。おれたちの血を作り出したのはおれたちではない。そのことを知り、神託に従って伸び伸びと生きるのも悪くあるまい。
オイディプス: おれの運命を追い求めている限りは、友よ、それでいい。おまえは一度もそこに到達しなかったという幸運を手にしていたのだから。だが、おまえがキタイロンの山に戻り、山のことのほかは何も考えられなくなる日がやってくるのだ。山はおまえにとっては過ぎ去った幼年期で、おまえはそれを毎日目にし、そしておそらくは、そこを登っていく。すると誰かがおまえに告げるのだ、おまえはこの上で生まれた、と。そして、全ては崩れ落ちていくのだ。
物乞い: おまえの言うことは分かる、オイディプスよ。だが、おれたちみんなに、幼年期の山はあるのだ。そして、どんなに遠く離れたところを流浪しようとも、自分の居場所は山の小道の上にあるのだ。おれたちはそこで、今あるおれたちに作り上げられたのだ。
オイディプス: 話をすることと苦痛を味わうことはまったく別物だ、友よ。だが確かに、話をしながら心のなかで何かが静まることはある。話をすることは、目的もないまま、自分たちの好きなように、日夜、道を進んでいくことと少し似ていて、若者が幸運を追い求めている様子とはちがうのだ。おまえはたくさんのことを口にし、たくさんのこと目にしてきた。おまえが王権を握りたかったというのは本当か。
物乞い: さぁどうだろう。確かなのは、おれが変わらなければならなかったということだ。あるものを追い求めながら、まったく別のものを見い出す。これもまた運命だ。だが、話をすることは、おれたちが自分自身を再び見い出すための助けになるのだ。
オイディプス: それで、おまえには家族はいるのか。誰かいるのか。そうは思えないが。
物乞い: そうだとしたら、今あるおれはいないだろう。
オイディプス: 奇妙なことだ、もっとも身近なものを理解するためには、 そのものをおれたちが遠ざけねばならないとは。そしてもっとも真なる語らいは、偶然に、見知らぬものどうしで交わされる語らいなのだ。ああ、このようにおれは生きなければならなかったのだ、おれ、オイディプスは、ポーキスとイストモスの道に沿って、おれの目がおれについていたときに。そして山を登ってはならなかったのだ、神託に耳を傾けてはならなかったのだ…
物乞い: おまえは少なくとも、おまえが交わした語らいのなかのひとつを忘れている。
オイディプス: どの語らいだ、友よ。
物乞い: スフィンクスのいる十字路での語らいだ。

(翻訳・持田 睦)
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2009年04月13日

第27話 神々 について

(5/9追記・以下に述べている大胆な解釈は、やはり大胆すぎるように思われ、最新の翻訳では「queste cose」を「これらのもの」、「loro」を「あのものたち」と翻訳することにしました。)

 今日、第27話の「神々」の翻訳が終わり、これにてストローブ=ユイレの二つの映画『雲から抵抗へ』と『あの彼らの出会い』で用いられているパヴェーゼの『レウコとの対話』の中の11の対話の翻訳がひとまず完成した。

 第27話の翻訳は困難を極め、英訳、独訳の助けだけでは理解しきれない箇所も多く、DVD中のユイレの仏訳も参考にしながらの作業になったが、私の翻訳には二点、いずれの言語の訳にも存在しない大胆な解釈が加えられている。

 それは、最終行の「Quei loro incontri.」の翻訳を、せめて「あの彼らの出会い。」とすべき、という以前にすでになされた提案ではない。この提案に関しては、タイトルの「loro」がユイレによって「avec eux」と翻訳されていることからも明らかなように、決して私個人の大胆な解釈などではなく、極めて妥当な解釈と言ってよいかと思う(映画の邦題も『あの彼らの出会い』に変更したほうがよいのではないかと思うが、映画の世界の方々は果たしてこの提案に耳を傾けてくれるだろうか)。

 大胆な解釈。まずひとつ目は、対話中に4回登場する「queste cose」の語句をすべて、「ケンタウロス」や「イカリオス」のような「神々に近しい存在者」や「神々」そのものとみなすという解釈である。「queste cose」はその結果、「このものたち」と翻訳されることになった。

 つづいてふたつ目は、対話中の「loro」をすべて「queste cose」とみなすという解釈である。「loro」はその結果、すべて「このものたち」と翻訳されることになった。

 ひとつ残らずすべて、というやり方はなるほど、暴力的かもしれないが、たとえば、最後に登場する「queste cose」などは、その直前の「パン」や「喜び」や「大切な健康」を指示していると解釈するよりも、「神々に近しい存在者」や「神々」そのものを指示していると解釈したほうが、この対話の世界観は、よりくっきりと浮かび上がるように思うのだ。「loro」に関してもそう。「人々」の意味での「彼ら」の語では、深みに欠ける箇所が目立つ。

 この大胆な解釈のため、第27話「神々」の翻訳には大きな誤訳の可能性が含まれている。その点をご理解の上、『レウコとの対話』の最終話をお楽しみいただけたら幸いである。

(持田 睦)
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2009年03月31日

『レウコとの対話』の初版本

 ぼんやりしているうちに春期講習が到来し、『レウコとの対話』の翻訳はしばらくできそうにない。気分は滅入りがちなのだが、そんな中、嬉しい書物がアメリカから届いた。それは手に入れたくて仕方のなかった『レウコとの対話』の初版本である。前々からインターネット上で探し求めていたのだけれど、値段と状態のバランスが良いものはイタリアの古書店では見つからず、どちらかを犠牲にする覚悟ができないまま日々を過ごしていたら、アメリカの古書店がちょうど良いものを売りに出してくれた。
 第二次世界大戦直後の1947年の出版物にしては悪くない作りで、クリーム色の本体に背表紙だけオレンジ色なのがしゃれている。(以下の写真は、背表紙と中表紙。クリックすると拡大します。)

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(持田 睦)
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2009年03月13日

第27話 神々

 以下に掲載するのは、パヴェーゼの『レウコとの対話』の第27話(1947年3月9日-11日筆)になります。舞台化の際には、この翻訳を下訳として、より適切な日本語に改める予定です。ちなみにこの対話は、ストローブ=ユイレの映画『あの彼らの出会い』の最後の対話になります。
(持田 睦)


神々
(09/5/10更新)


 ―山は荒れ放題だ、友よ。このあいだの冬で赤茶けた草の上は、雪でまだらになっている。まるでケンタウロスの外套のようだ。こうした標高の高い場所はすべてこんな様子だ。ささいなことがあればいい、それだけで一帯は、これらのものが生起していたころと同じ一帯に戻るのだ。
 ―かれらが、それらを目にしたというのは、ほんとうかと自問しているのだが。
 ―だれがそれを口にできるだろう。だがそうなのだ、目にしたのだ。かれらは、あのものたちの名前を語り、それ以上のことはなにもしなかった―作り話と真実のちがいはすべてここにある。「あんなものやこんなものが存在した」、「そのものはこんなことをして、あんなことを言った」。真実を語るものは満ち足りている。かれはじぶんの言うことを信じてくれないものがいるかもしれないと、怪しむことさえない。ぼくらはこれらのものを一度も目にしたことがないくせに、ケンタウロスがどんな外套を身につけていたか、あるいはイカリオスの麦打ち場のうえに広がるぶどうの房の色などを事細かに知る、嘘つきどもなのだ。
 ―丘があり、頂上があり、海岸があればいい。人けのないところがありさえすればいい、きみの視線がそこからふたたび上へと向かい、天空にとどまりさえすればいい。ものは、空中で信じがたいまでに際立ってあらわれ、今日なお、こころを震わせてくれる。ぼくにとっては、天空の上でくっきりと輪郭づけられた木や岩は、はじめからずっと神々であるように思われるのだ。
 ―これらのものは、必ずしもいつも山の上に存在したわけではない。
 ―もちろん。はじめに存在したのは大地の声だ―泉、根っこ、へび。もし霊が大地と天空を結びつけるのならば、それは光のある方へ、地の暗がりから出てこなければならないのだ。
 ―どうだろうか。あのひとたちはあまりにも多くのものを知っていた。かれらはかんたんな名前で、雲、森、運命を語っていた。ぼくらがかろうじて知っているものを、かれらは確かに目にしたのだ。かれらには、夢まぼろしのなかに没頭する時間もなければ、そうした趣味もなかった。かれらは身震いするような、信じがたいものを目にし、そして驚きもしなかった。何が存在するのかを知っていたのだ。もしあのひとたちが嘘をついていたとすると、きみが「朝だ」とか「雨が降りそうだ」と口にするとき、きみの頭もどうかしていたということになってしまう。
 ―かれらが名前を口にしていたということ、それはそのとおりだ。あまりにもたくさん口にしたので、時おり、はじめに存在したのは、もののほうなのか、それともあの名前のほうなのかと自問するほどだ。
 ―それらはともにあったのだ、ぼくが思うには。しかもここにあったのだ、この荒れ放題の、孤独な土地に。かれらがここまでやってきたというのは、驚くようなことだろうか。いったいほかになにを、あのひとたちはここで見つけだすことができたというのだろう、神々との出会いのほかに。
 ―かれらがここに足をとどめた理由を口にすることは、だれにもできまい。だがすべての見捨てられた場所には、空虚と期待が残されている。
 ―この上ではほかになにも考えることはできない。こうした場所は名前を永遠に抱きつづける。天空の下には草が生えているだけ、それなのにそよ吹く風は、森のなかの嵐よりも強く、記憶のなかで激しく鳴り響く。空虚も期待もありはしない。かつて存在したものは、永遠に存在しつづけるのだ。
 ―だがかれらは死んでしまい、埋められてしまった。今ある場所は、あのものたち以前にそうであった場所であるかのようだ。かれらが口にしたものはほんとうに存在したということを、ぼくはきみに対して認めたいと思う。そのほかには、なにも残されていない。きみは同意してくれるだろう、山の小道で神々と出会うことは、もはやないのだということを。ぼくが「朝だ」とか「雨が降りそうだ」と口にするとき、あのものたちのことを話してはいないのだ。
 ―昨夜、ぼくらは、あのものたちのことを話した。昨日、きみは夏のことを、そして夕方に生あたたかい空気を吸い入れたいときみが感じる欲望のことを話していた。また別の時には、人間のことを、きみといっしょにいたひとたちのことを、きみの過去の好みのことを、思いもかけない出会いのことを、きみはいろいろと語る。すべてのものはむかし、存在したのだ。きみにはっきりと言っておこう、ぼくはきみの話すことを耳に入れたが、それはあたかもあの古い名前を、ぼくのこころのなかでふたたび耳にするかのようにそうしたのだ。きみがきみの知っているもののことを物語るとき、ぼくはきみに「なにが残されているのか」とか、はじめに存在したのは、言葉のほうなのか、それとも、もののほうなのかと応えることはしない。ぼくはきみとともに生き、そのようにして、じぶんが生きていることを実感するのだ。
 ―過ぎ去った時代において生起していたものが、あたかもほんとうに存在しているかのように生きるのは容易なことではない。昨日、荒れ放題の土地の上で、霧がぼくらをつつみ、丘の上から石がいくつか、ぼくらの足もとに転げ落ちてきたとき、ぼくらが思ったのは、神的なもののことでもなければ、信じがたい出会いのことでもなく、ただ夜であることと、逃げていく野うさぎのことだけだった。ぼくらがいったいなにものであり、そしてなにを信じているかは、災難を前にし、危険にさらされたときに、表にあらわれるものだ。
 ―昨夜のこと、そして野うさぎのことは、ぼくらが家にいるときに、友人たちとふたたび話し合うのが良いだろう。それでもやはり、その身にふりかかるすべてのものが命にかかわっていたむかしのひとびとの苦悩を思うと、ぼくらのこの恐怖に関しては、ほほえみを浮かべざるをえない。ひとびとにとって、空気は夜の恐怖、謎めいた脅迫、恐ろしい記憶で満ちあふれていた。悪天候や地震のことでも思い浮かべてくれ。そしてもし、この居心地の悪さが、だれもが認めるように、ほんものであったとしたら、勇気も、希望も、出会いを約束する能力の幸運な発見もまた、ほんものなのだ。ぼくはと言えば、かれらが、あのものたちの夜の恐ろしさのことや、待ち望んでいたもののことを話すのを耳にするのは嫌いなことではない。
 ―つまりきみは、怪獣を信じていると言うのか、けものと化した人身を、生命ある岩を、神的なほほえみを、かれらを無に帰せしめていた言葉たちを、信じていると言うのか。
 ―ぼくが信じているのは、すべての人間が待ち望んでいたこと、そして苦しんでいたことだ。もしむかし、かれらが標高の高いこの岩場まで登ってきたり、あるいは 天空の下、死を招く沼地を探し求めたのだとしたら、その理由はそこで、ぼくたちの知らないことを探していたからだったのだ。それはパンでもなければ、喜びでもなく、大切な健康でもなかった。今、これらのものがどこにあるかは知られている。ここではない。そしてぼくら、ここから遠く離れ、海に沿って、あるいは田園のなかで暮らすものは、もうひとつのことを忘れてしまったのだ。
 ―では、それを言ってくれ、そのことを。
 ―きみはもう、それを知っている。あのものたちとの出会いだ。


(翻訳・持田 睦)
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2009年02月21日

第14話 主人/客人

 以下に掲載するのは、パヴェーゼの『レウコとの対話』の第14話(1947年2月22日-23日筆)になります。舞台化の際には、この翻訳を下訳として、より適切な日本語に改める予定です。ちなみにこの対話は、ストローブ=ユイレの映画『雲から抵抗へ』第一部の5番目の対話になりますが、この対話を映画の台本にする際、ストローブ=ユイレは主に省略という仕方で手を加えていますので、映画の台詞と完全に一致するわけではありません。
(持田 睦)


主人/客人
(09/3/13更新)

 プリュギアとリュディアは常に、ギリシア人たちが残虐行為を好んで語る際の舞台となる地域であった。むろんすべてがかれらの祖国でおこった出来事であるが、かなり昔の時代のことになる。
 刈り入れの競争の敗者がだれであるかは言うにおよばないことだ。


(リテュエルセスとヘラクレスの対話)

リテュエルセス: ここが畑だ、異人さんよ。おれたちは手厚くもてなすからな、あんたたちのお国のあんたたちのもてなしのように。あんたはここから逃げることはできないんだ、そしておれたちといっしょにした飲み食いのように、おれたちの大地はあんたの血を吸い入れることになるだろう。マイアンドロス川は来年、今年よりもぎっしりと、そしてびっしりと一帯を埋めつくす小麦を目にすることになるだろうよ。
ヘラクレス: おまえたちは過去に、畑の上でたくさんのひとを殺したのか。
リテュエルセス: かなりな。ただあんたほどの腕力を持つものは、だれひとりいなかったし、ひとり殺せば十分というものもいなかった。それにあんたの体毛は赤く、花のような瞳をしている―あんたはこの大地に精力を与えてくれるだろうよ。
ヘラクレス: いったいだれが、そういったしきたりをおまえたちに教えたのだ。
リテュエルセス: ずっとそうしてきたんだ。もしあんたが大地に栄養を与えないのなら、お返しに大地があんたに栄養を与えてくれるようにと、大地に頼むこともできないだろうよ。
ヘラクレス: 今年はすでに、おまえの小麦は豊作であるようにおれには見えるのだが。刈り入れを行うものの肩の高さまであるではないか。おまえたちはいったいだれののどをかっ切ったのだ。
リテュエルセス: よその国のものはひとりもやってこなかったのだ。おれたちは老いぼれの奴隷と雄ヤギを殺した。大地がかろうじて感じとることができたのは、弱々しい血だった。小麦の穂を見てみろ、中身は空っぽだ。おれたちが引き裂く肉体は、まずは汗をかかなければいけないのだ、日照りのなか、泡立つような汗を。おれたちがあんたに小麦を刈り取らせ、その束を運ばせ、疲労感に浸らせようとするのは、そのためだ、そして最後にあんたの血が、生き生きと純粋に沸き立つときはじめて、あんたののどを切り開く瞬間がやってくるというわけだ。あんたは若く、そして力強い。
ヘラクレス: おまえたちの神々はなんて言ってるんだ。
リテュエルセス: 畑の上に神々はいない。存在するのは、大地、「母親」、「岩屋」だけで、それはいつでも待ちかまえていて、ただ流れ出る血の下だけで目を覚ますのだ。今晩、異人さんよ、あんたみずからが岩屋のなかに入っていくことになるだろうよ。
ヘラクレス: おまえたちプリュギア人は岩屋のなかに降りていかないのか。
リテュエルセス: おれたちは生まれてくるとき、そこから出てくるんだ、あわててそこに戻ることはない。
ヘラクレス: わかったぞ。そうやって血を肥やしとすることが、おまえたちの神々には必要なことなんだな。
リテュエルセス: 神々ではなく、大地だ、異人さんよ。あんたたちは大地のうえで生きていないのか。
ヘラクレス: おれたちの神々は大地にはいないが、海と大地を、森と雲を治めている、あたかもひつじ飼いがひつじの群れを飼い、主人が奴隷に命令をするように。かれらは離れたところ、山のうえにいるのだ、あたかも思考が、それを口にするものの目のなかにあるように、あるいは雲が、空に浮かぶように。かれらは血を必要としないのだ。
リテュエルセス: あんたの言うことはわからんな、異国からやってきた客人よ。雲も崖も岩屋も、おれたちにとっては同じ名前であり、たがいに離れてはいない。「母親」がおれたちにくれた血を、おれたちは汗をかき、糞をし、死ぬことで、「母親」に返すんだ。まったくもってほんとうにあんたは、遠くからやってきたんだな。そのあんたがたの神々は、なにものでもありはしない。
ヘラクレス: かれらは不死なるものたちの一族だ。かれらは森を、大地を、その怪獣たちを打ち負かした。かれらは、おまえのように、大地に栄養を与えるために血をまきちらしたものをみな、岩屋のなかへと追いやった。
リテュエルセス: おいおい、やっぱり、あんたの神々はじぶんたちがしていることをわかってるんじゃないか。かれらもまた、大地の渇きをいやさなければならなかったんだ。それにあんたは、渇きをいやしていない大地から生まれたにしては、あまりにも頑丈すぎる。
ヘラクレス: さぁ、それでは、リテュエルセスよ、刈り入れをしないか。
リテュエルセス: 客人よ、あんたは変わっているな。いままでだれひとり、畑を前にしてそうしたことを口にした男はいなかった。あんたは小麦の穂の上で迎える死が恐くないのか。あんたはきっと、ウズラやリスのように、畑の溝を通って逃げ出そうと思っているんだろう。
ヘラクレス: もしおれの理解が十分ならば、それは死ではなく「母親」のもとへ帰りつくことであり、手厚いもてなしにほかならない贈り物みたいなものだ。畑の上で精を出しているこの農夫たちはみな、祈りと歌でもって、かれらのために血を与えてくれるものを歓迎するだろう。それは大いなる名誉だ。
リテュエルセス: 客人よ、有り難い。あんたにはっきりと言っておくが、去年おれたちがのどをかっ切った奴隷は、そんなふうには話をしなかった。老いぼれていて、やつれ果てているにもかかわらず、樹皮の綱で縛り付けねばならず、ずいぶん長いこと鎌の下でもがいたため、倒れる前にすでに出血多量で死んでしまうほどだったのだ。
ヘラクレス: 今回は、リテュエルセスよ、もっとましに事は運ぶだろう。それで、話してくれないか、不幸なものを殺したら、おまえたちはそのものをどうするのだ。
リテュエルセス: そのものはまだ息のあるうちにずたずたに裂かれ、おれたちはその破片を畑にまく、「母親」に触れるためにな。血まみれの頭部は花と小麦の穂を巻きつけて保管され、歌と陽気な雰囲気のなか、おれたちはマイアンドロス川のなかにそれを投げ入れる。というのも「母親」は大地であるばかりでなく、あんたに話して聞かせたように、雲でもあり、水でもあるのだからな。
ヘラクレス: おまえはいろいろなことを知っているのだな、おまえ、リテュエルセスよ、おまえがケライナイの畑の主人であることにも、理由がないわけではないのだな。それからペッシヌスでは、話してくれないか、そこではたくさんひとが殺されているのか。
リテュエルセス: いたるところでな、異人さんよ、お日さまの下、ひとは殺されているのだ。おれたちの小麦は、肉片に触れた土くれからしか芽を出さない。大地は生きている、そして栄養状態はやはり良くなければならないのだ。
ヘラクレス: だがなぜおまえたちが殺すのは、異国のものでなければならないのだ。おまえたちを作り出した大地、岩屋はやはり、じぶんたちにより似ている体液を取り戻すことのほうが好ましいはずではないだろうか。おまえだってそうだろう、食事をするとき、自分の畑で取れたパンやぶどう酒のほうが好ましくはないか。
リテュエルセス: おれはあんたが気に入ってるんだ、異人さんよ、あんたはまるでおれたちの息子であるかのように、おれたちの幸福を大事に思ってくれている。だが少し考えてもらいたい、なぜおれたちがこうした労働で疲弊し、苦悩しつづけているのかということを。生きていくため、そうではないか。となると収穫物を楽しむために、おれたちが生き残り、他のものを殺すのは公正なことだ。あんたは農夫ではないな。
ヘラクレス: だが殺害を終わりにする方法を見い出して、異国のものも土地のものも、すべてのものが小麦を食べるようになれば、よりいっそう公正であるのではないか。この平野の大地と雲と太陽の力を、ひとりで永遠に豊かにしてくれるような人間を、最後に殺すのはどうだ。
リテュエルセス: あんたは農夫ではないな、おれにはわかるのだ。おまえは夏至と冬至がくるたびに、大地が新しく始まり、そして一年がめぐると、一切が消耗しつくされることさえ知らないのだ。
ヘラクレス: だがこの平野には、先祖代々、季節のすべての液や汁によって栄養を与えられているもの、極めて豊かで、極めて力強く、非常に上質な血が流れているので、過ぎ去った季節の大地を回復させるのに、この一回限りで十分となるものが、いるのではないだろうか。
リテュエルセス: あんたはおれを笑わせてくれる、異人さんよ。まるでおれのことを話しているみたいではないか。おれはケライナイでただひとり、代々に渡るおれの先祖を通じて、常にここに生きてきたものだ。おれは主人だ、そしてあんたたはそれを知っている。
ヘラクレス: 実際、おれはおまえのことを話しているのだ。刈り入れをしよう、リテュエルセスよ。おれはこの血なまぐさい仕事をするために、ギリシアからやってきたのだ。刈り入れをしよう。そして今晩おまえは、岩屋のなかに戻っていくことになるだろう。
リテュエルセス: あんたはおれを、おれの畑の上で殺すつもりなのか。
ヘラクレス: おれは死ぬまでおまえと闘うつもりだ。
リテュエルセス: あんたは少なくとも、鎌の動かし方ぐらいは知っているんだろうな、異人さんよ。
ヘラクレス: 黙れ、リテュエルセスよ。はじめるぞ。
リテュエルセス: なるほど、両腕は、頑丈なのを持っているな。
ヘラクレス: はじめるぞ。

(翻訳・持田 睦)
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2009年01月30日

第15話 火

 以下に掲載するのは、パヴェーゼの『レウコとの対話』の第15話(1946年9月18日-21日筆)になります。舞台化の際には、この翻訳を下訳として、より適切な日本語に改める予定です。ちなみにこの対話は、ストローブ=ユイレの映画『雲から抵抗へ』第一部の最後の対話になりますが、この対話を映画の台本にする際、ストローブ=ユイレは主に省略という仕方で手を加えていますので、映画の台詞と完全に一致するわけではありません。
(持田 睦)


(09/3/4更新)

 ギリシア人も人間をいけにえにする行為を実践していた。農耕文明はみな、そうしたことを行っていた。そして文明はみな、農耕文明だった。

(ふたりの羊飼いの対話)

息子: 山全体が燃えてるね。
父: まだ序の口だ。きっと今夜は、キタイロンの山が見ちがえてしまうだろう。おれたちは今年、あまりにも高いところまでやってきて、放牧している。おまえは家畜たちを集めてきたのか。
息子: ぼくらのかがり火なんか、だれの目にも入りやしないね。
父: おれたちは火を焚いているんだ、そんなことはどうでもいい。
息子: 星よりもたくさんの火があるね。
父: 炭火を入れろ。
息子: 入れたよ。
父: ああ、ゼウスよ、この供えものを受けとりたまえ、乳と甘い蜂みつとを。われらは貧しいひつじ飼いであり、ひつじの群れはわれらのものでないがため、好き勝手するわけにはゆかぬのです。この燃えさかる火が災いを遠ざけてくれますよう、そして煙のとぐろに覆われるがごとく、雲に覆われますよう…濡らして、水をはねかすんだ、坊主。あとは大農場が子牛を殺してくれれば、それで十分だ。雨が降れば、いたるところで雨になる。
息子: お父さん、あの下のほうに見えるのは火かな、それとも星?
父: あっちのほうを見てる場合じゃない。海に向けて水をはねかさなきゃだめだ。雨は海から昇ってくるんだ。
息子: お父さん、雨は遠くまで行けるの? 雨が降るとほんとうに、いたるところで雨になるの? テスピアイでも? テーバイでも? 北のほうにあるこれらの町に、海なんてないんだけど。
父: でも放牧するところはあるだろう、馬鹿たれ。井戸が必要なんだ。そういった町も今夜、かがり火に火をつけたんだ。
息子: テスピアイの裏がわでも? もっと遠いところでも? 昼も夜も歩いてまわるひとびとがいつでも、山の奥に潜んでいるようなところでも? 北のほうでは雨がちっとも降らないって言うのを、ぼくは聞いたんだけど。
父: いたるところで今夜は、かがり火が焚かれているんだ。
息子: じゃあなんで今、雨は降らないの? みんなかがり火に、火をつけたっていうのに。
父: お祭りなんだ、坊主。雨が降ってきたら、火は消えてしまう。だれの得にもなりゃしない。雨は明日降るだろう。
息子: かがり火がまだ燃えてるとき、その上に雨が降ってきたことは一度もないの?
父: だれが知るものか。おまえはまだ生まれていなかったし、おれだって生まれていない、そんなころからかがり火には火をつけていたんだ。いつだって今日の日の夜に。そういえば一度だけ、かがり火の上に雨が降った話を聞いたことがある。
息子: ほんとう?
父: といっても、人間が今よりも公正に暮らしていて、王の息子たちも羊飼いをしていたころの話だ。この地面全体が、当時は麦打ち場、清潔で、打ち固められた麦打ち場のようなものであり、アタマース王の支配下にあった。ひとびとは働き、生活していたが、地主の目から子山羊たちをかくまう必要はなかった。話によると、やがて並外れた酷暑がやってきたため、牧草と井戸は枯れ果ててしまい、民衆は死んでしまった。かがり火はまったく役に立たなかったのだ。そこでアタマースは助言を求めた。しかしかれは年寄りで、家のなかにいたのは、めとって間のない花嫁、若くて、自分の言いなりにならないと気の済まない花嫁であり、彼女がかれの頭に詰めこみはじめたのは、軟弱な姿を見せて、信頼を失っている場合ではないということであった。かれらが祈りを捧げ、水をはねかしたかだって? もちろんだ。かれらが子牛や雄牛を、何頭もの雄牛を殺したかだって? もちろんだ。その結果、どうなったかだって? なにも起こりはしなかった。だからかれらは息子たちを差し出したんだ。わかるか? でも彼女の腹を痛めた息子たちであったわけではない、というのも彼女に息子はいなかったのだから。思い浮かべるんだ。最初の妻とのあいだにできたふたりの、すでに大きくなっている息子たち、一日中、田畑で働いている少年たちだ。そして、うすのろのアタマースは、決心したのだ、かれらを呼びにやることを。王の息子たちは馬鹿でないので、当然そのことはかれらの知るところとなり、逃げていく。そして、かれらとともに、最初の雲たちは、そうしたことを聞き知った神がただちに畑の上に遣わしたのだが、いなくなってしまう。その直後にあの魔女が言うには、「ほら、ごらんなさい、あの考えは正しかったんだわ、雲たちはさっそく出てきてくれたじゃない。さぁ、だれかののどをかっ切らなくっちゃ。」そしてついには、民衆がアタマースを捕らえて、かれを燃やす決心をするにいたるのだ。かれらは火を用意し、点火する。縛られたアタマースを連れてきて、牛のように花で飾り、まさにかれをかがり火のなかに投げ入れようとしたそのとき、天気が崩れる。雷鳴がとどろき、稲光りがし、そして神に由来する水が降りてくる。田畑はよみがえる。水はかがり火を消し、アタマースは、善良なる男は、妻をも含め、みなを許すのだ。気をつけるがいい、坊主、女たちには。へびとへびとを見極めるほうが容易なくらいだ。
息子: それで、王の息子たちは?
父: 話した以上のことはなにも知られていない。でもこのようなふたりの少年たちならば、なにかじぶんたちにふさわしいものを見つけだしたことだろう。
息子: でも当時、ひとびとが公正だったのなら、どうしてふたりの少年たちを燃やすことを望んだりしたの?
父: 馬鹿もの、おまえは酷暑がどんなであるか知らないんだ。おれはそれを目にしたし、おまえのじいさんもそれを目にした。冬なんて大したことはない。冬は苦しくはあるが、収穫のためになっていることをひとは知っている。酷暑はちがう。酷暑は燃やしてしまう。すべては死に絶え、そして空腹とのどの渇きが、人間を変えてしまうんだぞ。食事を取らずにいるものの姿を思い描いてみるんだ。そうしたものは喧嘩っぱやい。それから、かの民衆はみな仲が良く、ひとりひとりがじぶんの土地を持ち、良い行いと、良い暮らしに慣れていた民衆だったということを、おまえには考えてほしい。井戸は干上がり、小麦は焼き焦げ、ひとびとは空腹になり、のどが渇く。するとかれらは、残忍な獣になるのだ。
息子: よこしまな民衆だったんだね。
父: おれたちよりもよこしまであるわけではない。おれたちの酷暑は地主たちだ。そしておれたちを自由にしてくれる雨など存在しないのだ。
息子: こんなかがり火、ぼくはもう好きじゃないや。どうして神々はこんなものが必要なの? 昔はこの上で、いつもだれかが燃やされてたってのはほんとうのことなの?
父: その実行は慎重だった。この上で燃やされたのは、片足を引きずる者、怠け者、そして間の抜けた者だった。この上で燃やされたのは、畑の役に立たない者だった。畑で盗みをはたらいた者だった。その程度で神々は満足してくれるのだ。とにもかくにも、雨は降ってきたのだ。
息子: いったいどんな楽しみを、神々がそんなところで見つけだしたのか、ぼくにはわからないな。だれかれかまわず、雨は降ったのだとしたら。アタマースのことだってそう。火あぶりの火を、神々が消しただなんて。
父: いいか、神々は主人なのだ。地主のようなものなのだ。おまえはかれらが、みずからの一員が燃えている姿を目にすることを望むのか。かれらは、たがいのあいだで助け合うのだ。おれたちのことは、そのくせ、だれも助けてはくれない。雨が降ろうが、晴れようが、神々にはそんなことはどうでもいいことなのだ。今、火は焚かれ、そしてひとは言う、雨がもたらされる、と。地主たちにはそんなことはどうでもいいことなのだ。かれらが畑にやってくるところを、おまえはこれまでに見たことがあるか。
息子: ぼくはないけど。
父: さて、そこでだ。かつて雨を降らせるにはかがり火があればよく、収穫を無事に済ませるには浮浪者をひとり、その上で燃やせばよかったのだとすると、いったいどれだけの地主の家に火を放ち、いったいどれだけの地主を、通りや広場で殺害する必要があるのだ、世界が公正な世界に戻り、おれたちがおれたちの言いたいことを言えるようになるまでには。
息子: それで、神々は?
父: かれらは関係ない。
息子: お父さんは神々と地主たちが手を組んでいるって言わなかったっけ? かれらが主人だって。
父: おれたちは子山羊ののどをかっ切るだろう。ほかになにができるんだ。おれたちは浮浪者を殺し、そしておれたちから盗みをはたらいたものを殺すだろう。おれたちはかがり火を焚くだろう。
息子: 早く朝になってくれたらいいのに。神々がぼくをおびえさせるんだもの。
父: おびえるがよい。神々がその存在を保たれるのは、おれたちの恐怖心によるのだ。おまえぐらいの年齢で、かれらのことを考えずにいるのは悪いことだ。
息子: ぼくはかれらのことなんか考えたくないよ。かれらは不公正な存在だ、神々ってのは。生きている民衆を燃やす必要がどうしてあるのさ。
父: そのように存在するのでなければ、神々は存在しないだろう。労働をしないものに、ほかにどのようにして時間を過ごせとおまえはいうのだ。地主たちが存在せず、ひとびとが公正さとともに暮らしていたころは、かれらを楽しませるために、ときどきだれかを殺さなければならなかった。神々とはそうした存在なのだ。しかしおれたちの時代では、そのようなことをする必要はもはやない。おれたち人間のあまりに多くがひどい状態にあるので、かれらはそれを見ているだけで十分なのだ。
息子: 浮浪者じゃない、かれらだって。
父: 浮浪者か。おまえが口にした言葉はかれらを的確にとらえている。
息子: かがり火の上で燃えながら、障害のある少年たちは、なんて言ってたの? たくさん叫んでた?
父: 叫び声は大した問題ではない。だれが叫ぶのか、それが肝心なのだ。障害のある者やよこしまな者たちは、利益になることはなにもしない。だがそれよりも、のらくら者たちがその身を肥やしている姿を、子どもを持つ人間が目にするときのほうが、わずかながらひどいことだ。不公正とは、こうしたことをいうのだ。
息子:  むかしのかがり火のことを考えると、ぼくは震えずにはいられないよ。見て、あの下のほうで、ずいぶんたくさんのかがり火が焚かれてるね。
父: どの火でもひとりずつ、少年が燃やされていたわけでは決してない。今、子山羊の場合になされているのと同じことだ。わかるか。ひとりが雨を降らせたら、全員に雨が降ってくる。ひとつの山、ひとつの村につき、ひとりの人間で十分だ。
息子:  ぼくはやだよ、わかってるね、やなんだからね。地主たちはぼくらを骨の随まで食べつくしたらいいんだ、もしぼくらが、たがいのあいだでそんなにも不公正であったのだとしたら。神々はぼくらが苦しんでいるところを目にしたらいいんだ。ぼくらはみんな、よこしまなんだから。
父: さぁ葉のついた小枝を濡らして、水をはねかすんだ。おまえはまだなにもわかっていない。そんなおまえだからこそ、公正さや不公正さについて話すことができるんだ。海に向けてはねかすんだ、石あたま… ああ、ゼウスよ、この供えものを受けとりたまえ…

(翻訳・持田 睦)
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2009年01月11日

第26話 詩女神

 以下に掲載するのは、パヴェーゼの『レウコとの対話』の第26話(1946年1月30日-2月1日筆)になります。舞台化の際には、この翻訳を下訳として、より適切な日本語に改める予定です。ちなみにこの対話は、ス 以下に掲載するのは、パヴェーゼの『レウコとの対話』の第26話(1946年1月30日-2月1日筆)になります。舞台化の際には、この翻訳を下訳として、より適切な日本語に改める予定です。ちなみにこの対話は、ストローブ=ユイレの映画『あの彼らの出会い』の4番目の対話になります。
(持田 睦)


詩女神
(09/5/3更新)

 広大な主題である。九柱の、あるいは三掛ける三柱の、あるいはただ三柱の、あるいはまた二柱のムーサたちやカリテスたちのなかに、ただひとりの神を認めることによって、少なからぬ危険を冒すことになってしまっているのは、筆者も十分承知している。しかし他の多くの事柄と同様に、この件に関しても納得済みである。われわれが扱っているこの世界では、母親たちはしばしば娘たちである―そしてその逆もまたしかりだ。立証も可能だろう。ただその必要はあるまい。それよりもわれわれは読者に、ギリシア人の場合、空想や記憶の祝祭は、ほとんどいつでも山の上、あるいはむしろ丘の上にその場が設けられ、この人民が半島を下へと移動するにつれて新しいものになっていったという事実を享受していただきたいのである。

(ムネモシュネーとヘシオドスの対話)

ムネモシュネー: つまるところ、あなたは幸せではないのね。
ヘシオドス: それがね、過ぎてしまったことを、もう終わってしまった時を思うと、幸せだったとぼくには思われるんだ。でも日々の暮らしのなかではちがう。用事やら仕事やら、わずらわしく感じられるんだ、まるで酔っぱらいがそう感じるみたいにね。そこでぼくはすべてを投げ出し、この山の上を登る。でも、ほら、思い返してみるとやっぱり、幸せだったとぼくには思われるんだ。
ムネモシュネー: そんなものなのでしょう、いつだって。
ヘシオドス: すべての名前を知っているきみが、ぼくのこの状態に名前をつけるとしたら、どんな名前がいいかな。
ムネモシュネー: わたしの名前で呼んでも、あなたの名前で呼んでもいいんじゃないかしら。
ヘシオドス: ぼくの人間の名前なんて、メレテー、なんでもありゃしないよ。でもきみはいったい、なんて呼ばれたいのさ。きみに呼びかける言葉は、いつでもちがっているじゃない。きみはまるで、歳月のなかでその名前が失われてしまった母親みたいだ。家のなかや遠くに山を望むことのできる小道の上で、きみのことはたくさん話題になっているんだよ。きみはむかし、トラキアやテッサリアの山の上、雪や黒い木や怪獣たちが存在するきわめて近寄りがたい山の上にいて、ムーサという名前で呼ばれていたんだってね。またあるひとはカリオペーとかクレイオーとも言っている。どれがほんとうの名前なのさ。
ムネモシュネー: わたしがその地からやってきたのはほんとうのこと。そしてわたしにはたくさんの名前があるの。これからまた半島を下へと移動していったら、ほかの名前も持つようになるんだわ…アグライエーやヘーゲモネーやパエンナー、その地その地の奔放な空想しだいなのね。
ヘシオドス: きみのことまであのわずらわしさは、世界のいたるところ、追いかけまわしているのかい。となるときみは、女神さまではないの。
ムネモシュネー: ねぇあなた、わずらわしさも女神さまもどちらもちがってるわ。いまわたしはこの山、ヘリコーンの山が気に入ってるんだけど、それはたぶんあなたがここによくきているからなのよ。わたしは人間たちがいるところにいるのが大好き、少しへんぴなところでないとだめなんだけれど。わたしはだれでもいいってわけじゃないの、話の仕方を心得ているひととおしゃべりをするの。
ヘシオドス: ああ、メレテー、ぼくは話の仕方なんて心得てないさ。それにぼくがなにかを知っているのは、ただきみといっしょにいるときだけであるとぼくには思われるんだ。きみの声のなか、そしてきみの名前のなかには過去が、ぼくが記憶するすべての時が存在する。
ムネモシュネー: テッサリアでは、わたしのなまえはムネメーだったわ。
ヘシオドス: きみのことを話題にするもののなかには、きみがカメのように年老いていると言うものもいる、よぼよぼで、かさかさだって。またあるものはきみをつぼみや雲のような年若いニンフとみなしている…
ムネモシュネー: あなたはなにを言ってるのかしら。
ヘシオドス: ぼくにもわからないんだ。きみはカリオペーであり、ムネメーである。きみは不死なる声とまなざしを持っている。きみはうら若いのか、年老いているのか、時間を持たないために問われることのない、小さな丘や水の流れみたいなものだ。これらのものは存在している。それ以外のことはなにも知られていない。
ムネモシュネー: でもあなただって、ねぇ、存在してるじゃない、それであなたにとって存在は、わずらわしさと不幸せを意味してるんでしょ。あなたはどんなふうに、わたしたち不死なるものの暮らしを想像しているの。
ヘシオドス: 想像なんてしてないさ、メレテー、崇拝してるんだよ、じぶんなりに、純粋なこころでね。
ムネモシュネー: お話をつづけて、気に入ったわ。
ヘシオドス: これ以上話すことなんてないんだけど。
ムネモシュネー: わたしはよく知ってるのよ、あなたたち人間のことを、あなたたちって、結んだ口をなかなか開こうとしないのね。
ヘシオドス: 神さまをまえにしたら、ぼくらはおつむを垂らすしかなくなるのさ。
ムネモシュネー: 神々のことはほっといてちょうだい。わたしは神々のいないころから存在してたのよ。あなたはわたしとお話していいんだわ。わたしになにもかも人間たちは言うのよ。わたしたちのことを崇めてちょうだい、そうしたいのなら、でもわたしが生きてるってことを、どんなふうにあなたは想像してるのか、話してちょうだい。
ヘシオドス: そんなのわかるわけないじゃない。女神さまはだれひとり、彼女の寝床をぼくに与えてくれなかったんだから。
ムネモシュネー: お馬鹿ね、世の中は移り変わり、そういう時代は終わってしまったんだわ。
ヘシオドス: ぼくにわかるのは、ぼくが働いたことのある土地のことだけさ。
ムネモシュネー: あなたは思いあがっているのね、羊飼いさん。あなたは死すべきものであることを誇らしく思っているのね。でもね、ほかのいろいろなことを知ることが、やがてあなたの運命になるのよ。言ってちょうだい、どうしてあなたはわたしと話をしていると、じぶんが幸せだと感じるの。
ヘシオドス: その質問になら答えることができるよ。きみが口にすることはそれ自体、日々のできごとにつきもののあのわずらわしさを持たないんだ。きみがものに名前を与えると、それは異なったものに、前代未聞であるにもかかわらず、可愛らしく、親しみやすいものに変わってしまう、まるで長いこと沈黙していた口から発せられる声みたいなものにね。あるいは思いもかけず水の面に映るじぶんの姿を目にすることとも似ている、「このひとはだれなの」って、ぼくらは口にせずにはいられないのさ。
ムネモシュネー: ねぇあなた、あなたはこれまでに、植物や石ころや身ぶりを目にして、同じような情熱を抱いたことはあったの。
ヘシオドス: あったよ。
ムネモシュネー: その理由はつかめて。
ヘシオドス: 情熱はほんの一瞬だもの。ぼくにはそれを留めおくことなんてできやしないさ。
ムネモシュネー: あなたはじぶんに問いかけてみたことはないのかしら、どうして一瞬が、大量の過去と同じように、あなたを突如として幸せに、神さまみたいに幸せにしてくれるんだろうって。あなたはオリーブの木を、毎日何年間も通いつづけた小道に生えているオリーブの木を目にしてきたけれど、そのわずらわしさがあなたのもとから離れ、老いさらばえた木の幹に、あなたが愛撫のようなまなざしを向ける日がやってくるんだわ、まるで木の幹が、ふたたびめぐりあえた友だちであるかのように、そしてあなたのこころが待ち望んでいた唯一の言葉を、まさしくあなたに向かって口にしてくれているかのように。そういったことは、ありふれた歩行者からちらっとしたまなざしを受けるときにもあるの。何日も降りやまない雨を目にするときにもあるの。あるいは小鳥のかまびすしい鳴き声を耳にするときにも。あるいはあなたが、むかし見たことがあると口にしたくなる、雲をまえにするときにだって。一瞬、時は止まってしまい、陳腐なものがあなたには、まるであとにも先にも一度も存在しないものであるかのように、こころのなかで感じられるんだわ。あなたはじぶんに問いかけてみたことはないのかしら、どうして一瞬が、こんなふうなんだろうって。
ヘシオドス: そのことならきみがじぶんで口にしているよ。あの一瞬はものを記憶に、模範にしてしまったのさ。
ムネモシュネー: すべてがこうした一瞬でできている存在を考えてみることは、あなたにできるのかしら。
ヘシオドス: できるよ。
ムネモシュネー: それならあなたは、わたしがどうやって生きているのか、わかっているのね。
ヘシオドス: ぼくはきみを信じているよ、メレテー、だってきみの目にはすべてが映し出されているから。それから多くのひとがきみに与えるエウテルペーという名前ももはや、ぼくを仰天させることはない。でもね、死すべきものの瞬間はどれも、生命ではないんだ。そうした瞬間をぼくが反復しようとしたならば、その花は失われてしまうだろうよ。取り戻されるのはいつだって、わずらわしさばかりさ。
ムネモシュネー: それでもあなたは言ったじゃない、あの一瞬は記憶なんだって。それに記憶がもしも繰り返される情熱でないのだとすると、それはいったいほかのなんだっていうのかしら。わたしの言ってること、よくわかってちょうだいね。
ヘシオドス: なにが言いたいのさ。
ムネモシュネー: わたしが言いたいのはね、不死なる生命がどんなであるか、あなたは知っているってことよ。
ヘシオドス: きみと話をしているときに、きみに抗うのは難しいね。ものを最初に目にしたのはきみなんだもの。きみがオリーブの木であり、ちらっとしたまなざしであり、そして雲なんだ。きみは名前を口にし、そのようにして、ものは永遠に存在するようになるのさ。
ムネモシュネー: ヘシオドス、わたしは毎日ここであなたを見かけているわ。あなたのまえにはほかのひとたちを、トラキアとピエリアのあの山々の上や、ただ水だけが流れている川のほとりで見かけていたの。かれらよりもあなたのほうが、わたしは好きだわ。あなたは知っているんだもの、不死なる事物があなたたちのすぐ近くにあるってことを。
ヘシオドス: そういうことを知るのは難しくなんかないさ。不死なる事物に触れること、そっちのほうが難しいのさ。
ムネモシュネー: そういう事物のために生きなくちゃ駄目よ、ヘシオドス。それが、純粋なこころという言葉の言わんとするところなの。
ヘシオドス: きみの話を聞いているかぎりは、確かにそう。でも人間の生命はあの下のほう、家々や田畑のなかでくりひろげられるんだ。炎の真ん前や寝床のなかでね。そして夜が明けるといつでも、真ん前においてあるのは、いつものしんどさと、いつものものたりなさ。つまるところわずらわしさなのさ、メレテー。土地を新しくしてくれるのは、嵐だ―死も、大きな悲痛も、気をめいらせたりなどしない。でも、果てしないしんどさや、そのときそのとき元気でいるための頑張りや、ほかのひとたちの悪事、ちっぽけな悪事の知らせや、夏の蝿のようなわずらわしさ―ぼくらの足下をすくう生活ってやつは、こういったものなのさ、メレテー。
ムネモシュネー: わたしはもっと廃れたところから、霧のかかった、人情のかけらもない谷底からやってきたの、そうはいっても生命は、そんなところで花咲いたんだけれどね。こんなオリーブの木々にかこまれて、空の下にいるかぎり、あなたたちはあの定めを知ることはないんだわ。ボイベーの沼地がどんなところか、聞いたことはあるかしら。
ヘシオドス: ないね。
ムネモシュネー: 泥とアシに覆われた霧深い荒れ地よ、静けさのなか、ぶくぶくと音を立て、まるで時の始まりから存在しているみたいだわ。この地が糞と血から、怪獣たちや神々を生み出したのよ。テッサリアの人たちは今もなお、この地について話をすることがほとんどないわ。時間が経っても、季節が移り変わっても、荒れ地は変わらず荒れ地のまま。どんな声もそこにたどり着くことはないのね。
ヘシオドス: でもそう言いながらも、きみはその地について話をしているよ、メレテー、そしてきみはその地に神的な定めを与えたんだ。きみの声はその地にたどり着いたのさ。今ではその地は恐ろしくも神聖なところだ。オリーブの木々やヘリコーンの空だけが生命のすべてではないんだね。
ムネモシュネー: でもわずらわしさだって生命のすべてでなければ、家に戻ることだってそうでないのよ。人間が、すべての人間が、あの血みどろの沼地のなかで生まれるってこと、あなたにはわからないのかしら、それから神聖なものや神的なものが、寝床のなかで、田畑の上で、炎の真ん前で、あなたたちにまで付いてまわってるってことも。あなたたちによってなされるすべての身ぶりは、神的な模範の繰り返しなんだわ。昼も夜も、あなたたちが手にする瞬間は、きわめてとるに足らない瞬間であっても、根源の静けさから流れ出ているんだわ。
ヘシオドス: きみは話をする、メレテー、そしてぼくはきみに抗うことはできない。少なくともきみを崇拝していたら、それでいいんだよね。
ムネモシュネー: 別のやり方もあるじゃない、ねぇあなた。
ヘシオドス: どんなのさ。
ムネモシュネー: あなたの知っているこういったことを、死すべきものたちに話してあげてごらんなさいな。

(翻訳・持田 睦)
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2008年12月10日

第13話 狼男

 以下に掲載するのは、パヴェーゼの『レウコとの対話』の第13話(1947年3月15日-16日筆)になります。舞台化の際には、この翻訳を下訳として、より適切な日本語に改める予定です。ちなみにこの対話は、ストローブ・ユイレの映画『雲から抵抗へ』第一部の4番目の対話になりますが、この対話を映画の台本にする際、ストローブ=ユイレは主に省略という仕方で手を加えていますので、映画の台詞と完全に一致するわけではありません。
(持田 睦)


狼男
(09/1/11更新)

 アルカディアの領主リュカオーンは、その非人道的な行いのため、ゼウスによってオオカミに変えられた。しかし神話はどこで、どのようにしてかれが死んだかまでは語っていない。

(ふたりの猟師の対話)

第一の猟師: 獣が殺されるのは初めてのことじゃないさ。
第二の猟師: でもおれたちが人間を殺しちまったのは初めてのことだ。
第一の猟師: そんなことはおれたちが考えても仕方のないことさ。やつをおれたちのところに狩り出してきたのは犬なんだ。やつがだれだったかの話なんて、おれたちのすることじゃない。白い毛を血で染めたやつが岩へ追いつめられ、泥沼のなか、眼よりも赤い歯をむき出しながら、水しぶきを立てるのを目にしたとき、いったいだれがやつの名前や昔のお話のことなどを考えたりするものか。やつはまるで犬の首であるかのように鎗に噛みつき、そのまま死んでいった。体毛だけでなく心まで獣だったってことさ。これと似た、あるいはもっと大きなオオカミがこの深い林で目撃されることは、ずいぶん前からなくなっていたっけな。
第二の猟師: おれが考えているのは、やつの名前さ。おれがまだ子どもだったころ、やつのことならみんながすでに口にしていた。やつが人間であったころの信じ難いできごと―山の主ののどを切り裂こうとした―を物語っていた。もちろん、やつの体毛は踏みにじられた雪の色をしていて―やつは年老いていた、まぼろしだった―血のように赤いまなこを持っていた。
第一の猟師: もう済んだことだ。あとはやつの皮を剥いで、平地に戻るだけだ。おれたちを待ってくれているお祭り騒ぎのことでも考えるんだな。
第二の猟師: 夜が明けるころに、おれたちはここを離れることにするか。まずはこのたきぎでおれたちの体を温めないか。遺体の見張りならモロッス犬たちがやってくれるさ。
第一の猟師: 遺体ではない、ただの死骸だ。でもやつの皮は剥いでおかないといけないぜ、石よりも硬くなってしまうからな。
第二の猟師: 皮を手に入れたら、やつは土のなかに埋めてあげたほうがいいんだろうか。むかしは人間だったんだもんな。やつの獣の血はぬかるみのなかに流れ出てしまった。あとに残されることになるのは、そのままで積み重ねられている骨と肉、年寄りや子どものみたいな骨と肉だ。
第一の猟師: やつが年老いていたことは間違いないさ。山々にまだ人影のないころから、やつはオオカミだったんだから。白くカビの生えた木の幹よりも、やつは年を重ねていたんだ。だれがやつに名前があり、ひとかどの人物であったことを覚えているって言うんだ。おれたちが嘘いつわりなくあろうとするなら、やつはとうのむかしに死んでいなければならないはずさ。
第二の猟師: でもやつの遺体を埋めずに残していくのはな…。やつはリュカオーンで、おれたちみたいな猟師だったんだぜ。
第一の猟師: おれたちみんな、山の上で死に見舞われる可能性があり、そうなると雨やハゲタカを除いてはだれひとり、おれたちを見つけだすことはないんだ。もしやつが本当に猟師だったとすると、ひどい死に方をしちまったってことになるな。
第二の猟師: やつは年老いてからは、その眼でもって、おのれの身を守っていたんだ。でもおまえは結局のところ、やつがおまえと同類であったことを信じちゃいないんだ。やつの名前だって信じちゃいないんだ。もしそれを信じていたら、やつの遺体を侮辱するまねなんてするわけがない。というのもおまえは知っているはずだから、やつもまた死者たちをさげずんでいたことを。やつもまた恐ろしい顔つきで、残忍に生きてきたことを―山の主がやつを野獣にしたのはそのためにほかならないんだ。
第一の猟師: やつに関しては、やつの同類を煮たり焼いたりしたという物語りがあるな。
第二の猟師: やつに比べればずっとちっぽけなことをやってのけた人間たちをおれは知っている、そしてかれらもまたオオカミだってことを―欠けているのは、森のなかで遠吠えをし、巣穴に身を隠すことだけだ。おまえはじぶん自身の存在を、ときどきじぶんが、やつと同じくリュカオーンであることを思わずにいられるほどまでに、確かなものだと信じているのか。おれたちみんな、もし神がおれたちに触れることがあったら、遠吠えをし、おれたちに逆らうやつらののどをめがけて飛びかかるような日々を送ることになるんだ。おれたちにとっての救いは、目覚めたときにふたたび見い出す、この手と、この口と、この声にほかならない。ところがやつには逃げ道は残されていなかった―人間の眼と家から永遠におさらばしたんだ。少なくとも今は、やつも死んでいるのだから、平和であるにちがいないだろう。
第一の猟師: おれにはやつが平和を必要としていたとは思えないな。やつは崖の上でしゃがみこみ、月に向かって遠吠えをすることができたとき、だれよりも平和だったんだ。おれは森のなかで長く暮らしてきたからわかっている、樹の幹や野獣たちは神聖なものをまったく恐れはしないし、さらさらと音を鳴らしたり、あくびをするためのほかには、天を見上げたりはしないってことを。それどころかやつらを、天の主人と等しくしてくれることがあるとすれば、それは、やつらがたとえなにをしでかしたとしても、心痛を覚えることがないってことなんだ。
第二の猟師: おまえの言うことを聞いていると、オオカミの運命とは気高いもののように思えてくるよ。
第一の猟師: 気高いのか下劣なのか、おれにはわからない、だがおまえはこれまでに、一匹の獣や一本の植物が、人間に変身させてもらったという話を聞いたことはないだろう。それに引き換え、こうした場所はどこでも、神の手に触れられた男たちと女たちでいっぱいだ―あるものは草の茂みになり、あるものは小鳥に、あるものはオオカミになった。そのものがどんなに邪悪であったとしても、どんな罪を犯したとしても、たどり着いたこの場に血濡れた手はもはや存在せず、心痛も希望も消え去り、じぶんが人間であったことまで忘れ去られていた。こういった感覚で、神々は存在しているのではないだろうか。
第二の猟師: 懲らしめは懲らしめさ、そしてその懲らしめを科するものは少なくとも、邪悪なものから不安定な状態を取り除き、心痛から運命を作り出すという仕方で、情けをかけてくれているだけなんだ。かりに獣が過去を忘れ去り、ただ獲物と死だけを求めて生きるのだとしても、やはりやつの名前は存在しつづけるし、かつてやつがそうであった状態もそのままでありつづける。むかし丘の上に埋められたカリストーという女がいる。だれも彼女の罪を知りはしない。天の主人は彼女をひどく罰した。ひとりの女を―美女だったらしい―ほえたり、泣いたり、夜中には不安にかられて家のなかに戻りたがるような雌のクマに変えてしまった。ほら、平和を知らない野獣もいるのさ。やがてその息子がやってきて、彼女を鎗で殺したが、神々は微動だにしなかった。神々は後悔して、彼女を絡み合う星に変えたと言うものもいる。しかしその遺体は残されたままだったので、それが埋められたというわけだ。
第一の猟師: それがなんだって言うんだ。その話なら知ってるさ。カリストーがみずからの運命に甘んじることができなかったのは、神々のせいではない。彼女は陰うつな顔で宴会に参加したり、葬式で酔っぱらうやつらと同じさ。おれがもしオオカミだったら、寝ているときもオオカミであるだろうよ。
第二の猟師: おまえはえんえんと血がつづく道を知らないのさ。神々はおまえになにかを付け加えることもなければ、おまえからなにかを取り去ることもない。かれらはただそっと触れるだけで、おまえがたどりついたところにおまえを釘づけにしてしまうんだ。以前は願望であり、選択であったものが、運命としておまえのまえにあらわれる。それはすなわち、オオカミに変身するということだ。でもおまえは家から飛び出したものの状態でありつづけ、むかしのリュカオーンと同じ状態でありつづけるんだ。
第一の猟師: つまりおまえはリュカオーンが、モロッス犬たちにかみつかれながら、人間のように苦しんでいたと言いたいのか。猟犬に追われて狩られる人間のように。
第二の猟師: やつは年老いて、疲れはてていた。おまえがみずから認めているように、やつはじぶんの身を守ることもできなかった。やつが石の上で、声もあげずに死んでいくあいだ、おれが思い起こしていたのは、中庭の前でときおり立ち止まっている年老いた物乞いたちと、かれらにかみつこうと首が絞まるまで鎖を引っ張っている犬たちの姿だった。こういうことは、下界にある家々でも起こることなんだ。やつはオオカミのように生きたのだとまずは言っておこう。しかし死んでいくとき、おれたちを見つめながら、やつはじぶんが人間であることを悟ったんだ。やつはそのことを、その眼でおれたちに伝えたんだ。
第一の猟師: 友よ、おまえは人間と同じように土のなかで腐敗していくことが、やつにとって大切だと信じているのか、やつの目にした最後の光景は、狩猟をしている人間たちであったというのに。
第二の猟師: 死の彼方には平和がある。共通のさだめさ。それは生きているものたちにとって大切なこと、おれたちみんなのなかにいるオオカミにとって大切なことなんだ。やつを殺すという運命がおれたちには降りかかった。おれたちは少なくとも習わしに従うことにし、侮辱は神々にまかせるとしよう。そうすれば清らかな手のまま、家に帰れるだろうから。

(翻訳・持田 睦)
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2008年11月19日

第24話 秘儀

 以下に掲載するのは、パヴェーゼの『レウコとの対話』の第24話(1946年5月6日-7日筆)になります。舞台化の際には、この翻訳を下訳として、より適切な日本語に改める予定です。ちなみにこの対話は、ストローブ・ユイレの映画『あの彼らの出会い』の2番目の対話になります。
(持田 睦)


秘儀
(08/12/23更新)

 エレウシスの秘儀が新入者たちに、滅することのない神的な模範をディオニュソスとデメーテル(そしてコレーとプルトン)の姿で示したということを耳にするのは、だれにとっても好ましいことだ。あまり好ましくないのは、デメーテルが小麦の穂―パン―で、ディオニュソスがぶどうの実―ぶどう酒―であるという指摘を耳に入れることである。「取って食べなさい。これはあなたがたのためのわたしのからだである…」


(ディオニュソスとデメーテルとの対話)

ディオニュソス: この死すべきものたちってのは、ほんとうに愉快なやつらさ。ぼくらはものごとを知るけれど、かれらはそれを行う。かれらがいなかったら毎日がどんな日々になるのか、じぶんに問いかけずにはいられないよ。ぼくらオリュンポスの神々はどうなるんだろうって。かれらはその可愛い声でぼくらを呼び招いて、ぼくらにいくつか名前をつけてくれるんだ。
デメーテル: わたしはかれらよりも前に存在していたわ、それであなたに言えるのは、わたしたちが孤独だったということ。大地は森で、へびで、亀だった。わたしたちは大地で、空気で、水だった。わたしたちにはなにもすることはなかった。永遠であるという習わしをわたしたちが身につけたのは、そのころのことだったのね。
ディオニュソス: そうしたことは人間たちの身には起こらないね。
デメーテル: そのとおりね。かれらが触れるすべてのものは時間になってしまうから。行為になってしまうから。待望と希望なのよ。かれらの死でさえ、なにかしらのものなんだわ。
ディオニュソス: かれらには、じぶんたちの名前、ものの名前、それからぼくらの名前をつける方法があって、それは生命を豊かにしてくれている。この丘の上にかれらが栽培する術を知ったぶどう畑みたいにね。ぼくがぶどうの若枝をエレウシスに運んできたときは、醜い岩だらけの斜面がこんなにも甘美な土地になるとは思ってもみなかったよ。小麦だってそうだし、庭園もそう。かれらが労苦と言葉を費やすところではいたるところ、韻律と意味と休止が生まれるのさ。
デメーテル: それからお話もね。かれらはわたしたちについて物語る術を知っているわ。わたしはときどきじぶんに問いかけてみるの、ほんとうにわたしは、かれらがわたしのことをそう呼ぶように、ガイアやレアーやキュベレーや大母神なのかしらって。わたしたちのことを、わたしたちみずからにたいして明らかに示してくれるような名前を、かれらはわたしたちにつけることができるのよ、イアッコス、そしてわたしたちを、運命の重々しい永遠性から引き離してくれるんだわ、わたしたちが存在する日々と土地のなか、わたしたちを色付けるために。
ディオニュソス: ぼくらにとっては、きみはいつだって、デオーだよ。
デメーテル: かれらがその乏しさのなかに、こんなにもたくさんの豊かさを持ちあわせているってこと、だれも分かっていないんだわ。かれらにとって、わたしは森林に覆われた荒々しい山であり、雲や洞穴であり、獅子たちや穀物や城壁に囲まれた砦や雄牛たちの女主人であり、揺りかごやお墓であり、コレーの母親である。ぜんぶ、かれらがそう呼んでくれているのよ。
ディオニュソス: ぼくのことだって、かれらはいつも口にのぼせているさ。
デメーテル: だからわたしたちはね、イアッコス、かれらが楽しんでいる短い一日のあいだに、もっとかれらのことを助けてあげたり、なんらかの仕方で報いてあげたり、かれらに寄り添ってあげてもいいんじゃないかしらって思っているの。
ディオニュソス: きみはかれらに穀物をあげたし、ぼくはぶどうの木をあげたじゃない、デオー。かれらの好きなようにさせておこうよ。ほかになにが必要だっていうのさ。
デメーテル: わたしにもなぜかは分からないのだけれど、でもわたしたちの手からこぼれ落ちるものはいつでも、両義的なのよね。両刃の斧なのよね。わたしのトリプトレモスは、すんでのことで、小麦を持参した相手、スキュティアの主人にのどをかっ切られてしまうところだったわ。それからあなただって、聞くところによると、罪のない血が流れるにまかせているらしいじゃない。
ディオニュソス: かれらが悲しんでいなかったら、かれらは人間ではないのさ。かれらの生命は、やはり死ぬことから逃れられないんだ。かれらの豊かさのすべては死であり、死がかれらに、必死になることや、記憶することや、予測することを強いているんだ。それに信じちゃだめだよ、デオー、かれらの血が、小麦やぶどう酒よりも、ぼくらがかれらに授ける栄養よりも値打ちがあるだなんて。血は卑しくて、不潔で、みすぼらしいものなんだから。
デメーテル: あなたは若いのよ、イアッコス、かれらがわたしたちを見つけだしたのは、血のなかであることを、あなたは知らないんだわ。あなたは世界をそわそわと走りまわり、死はあなたにとって、熱狂をもたらすぶどう酒のようなもの。でもあなたは思ってもみないのね、死すべきものはみんな、かれらがわたしたちについて物語るところの苦しみを味わってきたということを。いったいどれだけの死すべき母親たちが、コレーを失ったまま、二度と取り戻せなかったというのでしょう。今日でもなお、かれらがわたしたちに贈ることのできるもっとも豊かな贈り物は、血を流すことなんだわ。
ディオニュソス: でもそれは贈り物なのかな、デオー。きみはぼくよりもよく知っているじゃない、かつてかれらは、いけにえを殺しながら、ぼくらを殺しているのだと信じていたことを。
デメーテル: だからってかれらを不当に扱うことなんてできはしないわ。そのためにわたしは、かれらがわたしたちを血のなかで見つけだしたって、あなたに言ったんじゃない。もしかれらにとって死が終わりと始まりであるならば、わたしたちがふたたび生まれるのを目にするために、かれらはわたしたちを殺さなければならなかったのよ。かれらはとっても不幸なんだわ、イアッコス。
ディオニュソス: そうかな。ぼくにはかれらがお馬鹿さんにみえるんだけど。あるいは、ひょっとしたら、そんなこともないのかな。かれらは、死ななければならない程度がはなはだしいために、みずからを殺すことによって、生命に意味を与えているんだ。かれらには物語りがあって、その物語りを生き、そして死んでいかなければならないってわけさ。かれの身に起きたできごとを思い浮かべてごらん、イカリオスの身に…
デメーテル: あの可哀想なエリゴネー…
ディオニュソス: うん、でもイカリオスが殺されるがままになっていたのは、かれがそれを望んでいたからなんだよ。ひょっとしたらかれは、じぶんの血がぶどう酒だと思っていたのかもしれない。かれは気狂いのように、ぶどうを摘んで、足で圧しつぶし、そしてぶどう酒を搾りだしていた。麦打ち場でぶどうのしぼり汁が泡立つところを、ひとびとが目にするのは初めてのことだった。かれらは塀や壁や鋤をしぼり汁でぬらした。エリゴネーもその中に手を浸した。それからこの年老いたお馬鹿さんが、原っぱへ、羊飼いたちのもとへ、酒を飲ませてやろうと足を運ぶのは、いったいどういうわけなのやら。酔っぱらって、毒がまわって、残忍になったこれらのひとびとは、塀の上でかれを山羊のように八つ裂きにし、それからさらなるぶどう酒にありつこうと、かれを土の中に埋めてしまったんだ。かれにはこうなることは分かっていたし、こうなることを望んでもいた。かれの娘、あのぶどう酒を味わった娘だって、驚いたりなどしたものか。こうなることは、彼女にも分かっていたんだ。この物語りをおしまいにするために、ぶどうの房みたいに日を浴びながら首をくくるほかに、いったい彼女になにができただろう。悲しみなんてありはしない。死すべきものたちは血でもって、物語りを語るのさ。
デメーテル: それで、こうしたできごとがわたしたちには似つかわしいと、あなたは思うのかしら。かれらがいなかったら、ぼくらはどうなるんだろうって、あなたはじぶんに尋ねていたけれど、いつの日か、かれらがわたしたち神々に飽き飽きしてしまう日がくることを、あなたは知っているのね。つまり血が、このみすぼらしい血があなたに関係していることが、あなたには分かっているのね。
ディオニュソス: でもぼくらは、かれらになにをあげたらいいのさ。かれらはどんなものであっても、それをいつだって血に変えてしまうんだよ。
デメーテル: ひとつだけ方法があるわ、そしてあなたはそれを知っているじゃないの。
ディオニュソス: 言ってみて。
デメーテル: あのかれらの死に、意味を与えるのよ。
ディオニュソス: どうやってさ。
デメーテル: かれらに至福の生命を教えてあげるの。
ディオニュソス: でもそれじゃ運命に逆らうことになるよ、デオー。かれらは死すべき存在なんだから。
デメーテル: 話を聞いてちょうだい。かれらがこうしたことを、じぶんたちだけで考えるようになる日がやってくるのよ。そしてかれらは、わたしたち抜きで、物語りでもって、そうするようになるの。かれらは死を克服した人間たちについて語るようになるわ。かれらはすでに、かれらのなかのあるものを、天空に列してしまったし、あるものは六ヶ月ごとに地獄へ降りていく。かれらのなかのひとりは死神と闘って、かれから人の子をひったくってきてしまったわ…わたしの言うことを分かってちょうだいね、イアッコス。かれらはじぶんたちだけでやってのけるようになるの。そうなるとわたしたちは、かつてそうあったものに戻ってしまうのよ、空気や水や大地に。
ディオニュソス: そんなことをしたって、かれらは長生きできるようになんかならないさ。
デメーテル: お馬鹿ちゃんたら、なにを考えているの。そうじゃなくて、死が意味を持つようになるんでしょ。かれらもまた、ふたたび生まれるために死んでいくようになるの、そしてもはやわたしたちなんて必要なくなってしまうんだわ。
ディオニュソス: きみはどうしたいのさ、デオー。
デメーテル: かれらに教えてあげたいのよ、かれらが苦悩や死のかなたで、わたしたちと肩を並べることができるってことを。でも、かれらにそう言ってあげるのは、わたしたちじゃなくちゃ。小麦やぶどうの木が、芽を伸ばすためにハデスへ降りていくように、死はかれらにとっても新しい生命であることを、かれらに教えてあげたいわ。この物語りをかれらに伝えてあげたいわ。この物語りでかれらを導いてあげたいわ。わたしたちの運命と絡み合った運命を、かれらに教えてあげたいわ。
ディオニュソス: どっちみちかれらは死んでしまうのに。
デメーテル: 死んでしまうわ、そしてそのときには死を克服してしまっているの。かれらが目にするのは血を越えたなにか、つまりわたしたちふたりを目にするのよ。かれらはもはや死を恐れることもないし、さらなる血を流すことで、死をなだめたりする必要もなくなるわ。
ディオニュソス: ぼくらはそういうことをしてあげられるんじゃないかな、デオー、そういうことをしてあげられるんじゃないかな。永遠の生命の物語りが生まれるのさ。ぼくはかれらがうらやましくなってしまいそうだよ。かれらは運命を知らないまま、不死なる存在になるんだから。でも血を流すことがなくなるなんてことは、期待しちゃだめだよ。
デメーテル: かれらはただ永遠のことだけを考えるようになるのよ。もしそうなるとすると、かれらはこの豊かな田園をなおざりにしてしまう危険があるわ。
ディオニュソス: さしあたりはね。でもいったん小麦とぶどう畑が永遠の生命という意味を持つようになったら、人間たちはパンとぶどう酒のなかに、いったいなにを見て取るようになるか分かるかい。肉と血なのさ、今と変わらず、相変わらずね。そしてかれらは、肉と血をしたたらせることになるんだ、もはや死をなだめるためでなく、かれらを待ち受ける永遠に到達するために。
デメーテル: まるで未来を目にしているみたいな口ぶりね。どうしてそんなふうに言うことができるの。
ディオニュソス: 過去を目にしてきただけで十分なのさ、デオー。ぼくを信じておくれ。でもきみの言っていることには賛成なんだよ。これからも物語りは存在しつづけるんだろうね。

(翻訳・持田 睦)
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2008年11月07日

第25話 洪水

 以下に掲載するのは、パヴェーゼの『レウコとの対話』の第25話(1946年5月26日-6月6日筆)になります。舞台化の際には、この翻訳を下訳として、より適切な日本語に改める予定です。ちなみにこの対話は、ストローブ・ユイレの映画『あの彼らの出会い』の3番目の対話になります。
(持田 睦)


洪水
(08/11/19更新)

 ギリシアの洪水も、神々に対する敬意を失った人間種族への懲罰であった。その後、いくつかの石が投じられて、大地にふたたび人間が住まうようになったことは、知られた話である。


(ハマドリュアスとサテュロスとの対話)

ハマドリュアス: 死すべきものたちは、この水のこと、なんて言っているのかしら。
サテュロス: なにもわかってはいないさ。ただそれを受けとめているだけ。ひょっとしたら、いっそうの豊作を期待するものも、なかにはいるのかもしれないけれど。
ハマドリュアス: ちょうど今、川の水があふれ植物を根こそぎにしようとしているわ。今ではいたるところ、水の上に雨が降りそそいでいる状態なのね。
サテュロス: かれらは山の上の洞穴やあばら家のなかに閉じこもっているのさ。雨の音を聞いているのさ。谷間で水と格闘するものたちのことを思い、そして幻想を抱いているのさ。
ハマドリュアス: 幻想を抱いていられるのは、 夜がつづくかぎりよ。明日、おそろしい光のなか、天空に達して広がる一面の海と、小さくなってしまった山々が見えてきたら、だれも洞穴のなかには戻らないわ。見つめるんだわ。袋を頭にかぶり、見つめるんだわ。
サテュロス: きみはかれらを、野生の獣たちと混同しているんだね。死すべきものはだれひとり、じぶんが死んでいくことを理解できないし、死を見つめることもできないんだよ。かれらに必要なのは、走ることや、考えることや、しゃべること。生き残るものたちと話をすることさ。
ハマドリュアス: でも今回は、だれひとり生き残らないわ。いったいどうするつもりなのかしら。
サテュロス: そこが見ものさ。かれらはみんな、だれもかれもみんな、有罪の宣告をされていることを知ると、お祭りを始めるだろうから、見ててごらん。ひょっとしたら、ぼくらを探しにくるかもしれないね。
ハマドリュアス: あら、わたしたち、どんな関係があるっていうの。
サテュロス: すごく関係があるさ。かれらにとっては、ぼくらがお祭りで、ぼくらが生命なんだから。かれらはさいごのさいごまで、ぼくらとともに、生命を探すのだろうね。
ハマドリュアス: わたしたちがどんな生命をかれらにあげることができるのか、わからないわ。わたしたちは死ぬことさえできないのに。わたしたちにできることはといえば、見つめることだけ。見つめることと知ることだけ。でもあなたは言うじゃない、かれらは見つめることもなければ、あきらめることもできないって。かれらはわたしたちに、ほかになにを求めているっていうの。
サテュロス: たくさんのことをだよ、子山羊さん。かれらにとっては、ぼくらは野生の獣みたいなものさ。獣たちは、葉っぱのように生まれて、死んでいく。かれらは、ぼくたちが、枝のあいだに消えていくのを見かけると、まるでぼくらが、なにか神聖なものであるみたいに―隠れようとして逃げ去るぼくらが、森のなかにありつづける生命であるみたいに―かれらのような生命でありながらも永続する、もっと豊かな生命であるみたいに信じこんでしまうんだ。いいかい、かれらはきっとぼくらを探しにくるよ。それがかれらのもつ、最後の希望なんだろうから。
ハマドリュアス: こんなに水だらけなのに。かれらはいったいなにをするっていうの。
サテュロス: きみは希望がどんなものか、知らないのかい。かれらは信じることになるんだ、ぼくらも存在する森が、水のなかに沈むことはありえないだろうって。かれらは口にし合うことになるんだ、全員、人間たちがひとり残らず、消えていくことはないだろう、さもなければ、人間たちが生まれてきて、ぼくらの存在を知ったことに、いったいどんな意味があるんだって。かれらは理解することになるんだ、偉大なるオリュンポスの神々はかれらの死を望んでいる、でも結局は、かれらみたいな、小さな獣みたいなぼくらこそが、肝心かなめの生命で大地で真なるものなんだって。かれらの盛衰はお祭りへと追いこまれ、ぼくらがそのお祭りってことなのさ。
ハマドリュアス: それは安易ね。かれらにとっては希望なのかもしれないけれど、わたしたちには運命じゃない。そんなのお馬鹿よ。
サテュロス: お馬鹿ってほどでもないさ。かれらはなにかを救うのだろうから。
ハマドリュアス: いいわ、でも偉大なる神々を怒らせたのはだれよ。お日さままでがじぶんの顔を覆ってしまうような混乱をぜんぶ生み出したのはだれよ。かれらじゃない、そうわたしには思われるんだけど。当然の報いじゃない。
サテュロス: こらこら、子山羊さん、きみはそんなことを本気で信じているのかい。もしもかれらがほんとうに生命を汚しているのならば、かれらに罰を科するのは生命だけで十分で、オリュンポスが洪水でもってそれに手をつけなくてもいいんじゃない。だれかがなにかを汚しているのだとしたら、そのだれかはかれらじゃない、ぼくの言うことを信じておくれ。
ハマドリュアス: どっちみちかれらには死がふりかかるのよ。明日、これから起こることを知ったら、かれらはどんなふうになるのかしら。
サテュロス: このどしゃ降りの音を聞いて、おちびさん。明日になれば、ぼくらも水面下にいる。きみは醜い光景を目にするのだろうよ、見ることが大好きな、きみは。ぼくらは幸いなことに、死ぬことはできないんだ。
ハマドリュアス: それがときどき、わからなくなるの。死ぬってどんなことだろうって、じぶんに尋ねてしまう。それって、わたしたちにほんとうに欠けてしまっている、たったひとつのことじゃない。わたしたちはいっさいを知りながら、そんな単純なことを知らない。わたし、試してみたいんだわ、そのあとで目を覚ましたいのは、もちろんのことだけど。
サテュロス: もちろん目は覚まさなきゃ。でも、死ぬってことはね、まさしくそういうこと―きみが死んでいるってことを、もはや知ることはできないってことなんだ。そしてこれこそが洪水なんだ、あまりにも大量に死んでしまうので、だれひとりそのことを知るものが生き残らないってことがね。こうしたわけで、かれらはやがて、ぼくらを探しにくるようになり、じぶんたちを救ってくれとぼくらに唱えるようになり、ぼくらや植物や石ころみたいに―純粋な運命にほかならない無意識なものみたいになることを望むようになる。これらのなかで、かれらは救われるつもりなんだろうね。やがて水がひくと、石ころと木の幹がふたたび現れるんだ、始まりのときのように。そして死すべきものたちが求めるのは、この始まりのときにほかならないんだよ。
ハマドリュアス: 変な人たちね。かれらは運命と将来を、まるで過去のものであるかのように扱うのね。
サテュロス: それが希望という言葉のもつ意味なのさ。記憶を頼りに、運命に名前をつけるのさ。
ハマドリュアス: それであなたは、かれらがほんとうに、木の幹や石ころになれると思っているの。
サテュロス: 物語りを作ることができるんだ、死すべきものたちは。今晩の、そして明日の恐怖から作り出される空想そのままに、かれらは将来を生きるつもりなんだ。かれらは野生の獣に、岩に、植物になるだろう。神々になるだろう。その再生を目撃するために、神々をあえて殺しさえするだろう。かれらは死を免れるために、じぶんたちが過去のものであるふりをするんだ。このふたつのもの―希望または運命をのぞいては、なにひとつ存在しないのさ。
ハマドリュアス: そういうことだとすると、かれらを哀れむことなんてできないわ。じぶんたちだけでそんなふうに奔放に空想していられるなんて、素敵なことにちがいないわね。
サテュロス: そりゃ素敵なことさ。でもじぶんたちが奔放に空想していることを、かれらは知っているんだなんて思ってはいけないよ。最高に並外れた救いをかれらは、盲目的に見つけだすんだけれど、その時にはもう、かれらは運命によってわしづかみにされ、握りつぶされているんだ。奔放な空想を楽しむ時間などかれらにはないのさ。かれらが知っているのはただ、みずからが報いを受けているということ。それだけなんだ。
ハマドリュアス: 少なくともこの洪水が、かれらに戯れやお祭りがなんであるかを教えるのに役立ってくれたらいいんだけれど。運命によって、わたしたち不死なるものに押しつけられる奔放な空想のことならば、わたしたちも知ってはいるけれど―かれらはどうしてその奔放な空想を、かれらの乏しさのなかにある永遠の瞬間みたいにして生きていく術を身につけないのかしら。かれらはどうして、まさにかれらのはかなさこそが、かれらを貴重なものにしてくれることがわからないのかしら。
サテュロス: すべてを備えることはできないんだよ、おちびさん。ぼくら、知りつくすものたちは、選ぶってことがないじゃない。そしてかれら、予想不可能な、ただひとつの瞬間を生きるものたちは、瞬間の価値がわからないんだ。かれらはぼくらの永遠の生をほしがっているみたいなんだから。世界とはこうしたものなんだね。
ハマドリュアス: 明日、かれらも、なにかを知ることになるわ。そして、石ころや地べたはいつの日か、明るいところに戻ってくると、ただ希望や苦悩だけを抱いて生きるのではなくなるの。新しい世界が、なにか神々しいものを、その最高にはかない死すべきものたちのなかに備えているのを、あなたは目にすることになるのよ。
サテュロス: 神がそれを望んでくれたらいいのにね、子山羊さん。ぼくもそうなったらいいと思ってるよ。

(翻訳・持田 睦)
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2008年10月24日

第3話 盲人

 以下に掲載するのは、パヴェーゼの『レウコとの対話』の第3話(1946年7月5日-8日筆)になります。舞台化の際には、この翻訳を下訳として、より適切な日本語に改める予定です。ちなみにこの対話は、ストローブ・ユイレの映画『雲から抵抗へ』第一部の3番目の対話になります。
(持田 睦)


盲人
(08/11/16更新)

 テーバイにおける出来事で、盲目の予言者テイレシアスが居合わせないものはない。この対談のすぐそのあとで、オイディプスの不運―すなわち、かれの目が見開かれ、恐ろしさのあまり、かれみずからがその目をつぶすという不運が始まるのだ。

(オイディプスとテイレシアスの対話)

オイディプス: テイレシアスの爺さん、ここテーバイでみんなが言ってることを、おれは信じてもいいのか、神々はあんたを妬んで、盲目にしたんだってことを。
テイレシアス: すべてが、かれらに由来するというのが本当ならば、それを信じたらいいのではないか。
オイディプス: あんたはなにを言ってるんだ。
テイレシアス: ひとは神々のことをすぐ口にしすぎるということだ。目が見えないということは、生きていることと変わらない、やっかいごとだ。わたしは不運が、しかるべき時に、しかるべき場所へ舞い降りるのをずっと見てきた。
オイディプス: じゃあ神々は、そのときいったいなにをしてるんだ。
テイレシアス: 世界はかれらよりも古いのだ。すでに空間を満たし、血を流し、快楽にふけっていた。世界が唯一の神だったのだ―時間がまだ生まれていなかったころは。そのころは、ものそのものが君臨していた。生起するのは、ものだった―いまでは神々によって、すべてが言葉に、幻想に、脅迫にされてしまっているが。だが神々にできるのは、ものを近づけたり遠ざけたりして、いらいらさせることぐらいだ。ものを手にすることはできない、ものを変えてしまうことはできない。かれらがやってくるのは、あまりにも遅すぎたのだ。
オイディプス: よりによってあんたが、神に仕えるものが、そんなことを言っちまうのか。
テイレシアス: 少なくともこれくらいのことを知らなかったら、神に仕えるものにはなれないだろう。アーソポス川で水浴びをしている少年のことを思い浮かべてみるんだ。夏の朝のことだ。少年は水からあがって、嬉々として水に戻っていき、もぐって、またもぐる。かれは苦しくなって、おぼれる。神々はこのことと、どんなかかわりがあるというのだ。かれはその結末を神々のせいにしたらいいのか。それとも味わった喜びのせいにしたらいいのか。片一方でなければ、もう片一方でもない。なにか―善でなければ、悪でもないなにか、名づけようのないなにかが起こったのだ―あとからそのなにかに、神々が名前をつけることだろう。
オイディプス: ってことは、名前を与え、ものごとを説き明かすってことが、あんたにはささいなことに思えるってことか、テイレシアス。
テイレシアス: おまえは若いのだ、オイディプス、そして若い神々とおなじように、おまえみずから、ものを明らかにし、それを名づける。おまえはまだ知らないのだ、大地の下には岩があり、もっとも青い天空がもっとも空虚であることを。わたしのように目が見えないものにとっては、一切が衝突以外のなにものでもないのだ。
オイディプス: そうは言ってもあんたは、神々と付き合いながら生きてきたんだ。人間の盛衰や歓喜や悲惨に長いことたずさわってきたんだ。みんなあんたのことを、ただのうわさ話以上の仕方で口にしてる、神のことを物語るみたいにな。で、そのなかにはあまりに風変わりで、あまりに常軌を逸しているため、ひょっとしたらある意味が―おそらくは天空に浮かぶ雲のような意味があるにちがいない、そんなうわさ話もあるんだ。
テイレシアス: 私はずいぶんと生きてきた。あまりにたくさん生きてきたため、わたしが耳にするどんな話でも、じぶんのことを話しているように思われるほどだ。天空に浮かぶ雲とは、おまえはどのような意味で口にしているのだ。
オイディプス: 空虚の内側に浮かぶひとつの存在…
テイレシアス: そもそも、ひとつの意味があるとおまえが信じているそのうわさ話とはいったいどんなものなのだ。
オイディプス: あんたは昔からずっと、今のあんたのままでありつづけてたのか、テイレシアスの爺さん。
テイレシアス: ああ、おまえの言いたいことは分かったぞ。へびの話だな。わたしが七年間、女性であった頃の。やれやれ、この話におまえはなにを見い出しているのだ。
オイディプス: あんたの身にそうしたことが起こってしまい、あんたはそのこと知っている。でも神がいなかったら、そうしたことは起こらなかったんだ。
テイレシアス: おまえはそう思うか。大地の上ではなにもかもが起こりうるのだ。常軌を逸したことなどひとつもありはしない。当時のわたしは、性に関わることがらに嫌悪を覚えていた―それらによって、魂が、神聖が、わたしの性質が、その品格を失ってしまうように思われたのだ。二匹のへびが苔のうえで互いに快楽にふけり、噛みつきあっているのを見たときも、わたしはいら立ちをおさえることはできず、棒でつっついた。その直後、わたしは女性になっていた―そして何年も、わたしの自尊心は忍耐を強いられた。世界のものごとは岩なのだ、オイディプス。
オイディプス: それはそうと、女の性は、ほんとうにそんなに卑しいものなのか。
テイレシアス: そんなことはまったくない。卑しいものは、神々にとってしか存在しないのだ。倦怠も嫌悪も幻想も、岩に触れると消えてしまう。ここでは岩は性の力であり、あらゆる形と変化におけるその遍在であり、至る所に居合わせるものだった。男性から女性へ、さらにはその逆と(七年後、わたしは二匹のへびに再会したのだ)、魂に関しては認めがたいことが、暴力あるいは情欲によってわたしに対してなされ、高慢な男性あるいは屈辱に甘んじる女性であったわたしは、女性としてはみずからを解き放ち、男性としては卑に屈し、そのようにして性に関するすべてのことを知ったのだ。男性が男性を、女性が女性を求める段階にまで到達したのだから。
オイディプス: やっぱり神があんたになにかを教えてくれたんじゃないのか。
テイレシアス: 性を支配する神はない。あるのは岩だと、おまえには言っておく。多くの神々は野獣だが、へびはすべての神々のなかでもっとも古いのだ。地中にへびが身を潜めると、ほら、性の像が浮かんでくる。へびのなかには性と死がある。いったいどの神が、これほどまでに性を具現でき、内包できるというのだ。
オイディプス: でもあんたにはできるんだろ。そう言ったじゃないか。
テイレシアス: テイレシアスは老いぼれで、神ではない。若いころは無知だった。性というのはどちらともとれるもので、はっきりしないもの。一切であるかのように思われる半分だ。人間は性を具現し、まるで良い泳ぎ手が水のなかにいるように、性のなかで生きることになるのだが、そうこうするうちに年を取ってしまい、岩に触れてしまう。最後にかれに残されるのは一つの考え、一つの幻想だ。もう片一方の性のほうが、満ち足りた状態で現れ出ているのではないか。やれやれ、そんなことは信じないことだ。わたしには分かっている、だれにとっても性は、空しい苦労であることを。
オイディプス: あんたの言ってることに反論するのも簡単じゃないね。あんたのはなしがへびから始まってることには、理由がないわけではないんだな。まさに性に対する嫌悪と倦怠から始まってるんだな。それであんたは、あんたにむかってそうした嫌悪など知らないと言い張る優良な男がいたら、なんて言ってやるんだ。
テイレシアス: 優良な男ではない―まだ子どもなのだ、と言うだろう。
オイディプス: おれもな、テイレシアス、テーバイの路上で出会いがあったよ。で、そうした出会いのひとつのなかで、おれたちは人間―幼少期から死に至るまで―について話をし、おれたちも岩に触れたんだ。あの日から、おれは夫になり、父親になり、テーバイの王になった。おれにとって、おれの日々において、曖昧なものや空しいものなどはまったくありはしないな。
テイレシアス: おまえだけではない、オイディプス、そういうことを信じているのは。しかしひとは、言葉を介して岩に触れることはないのだ。神々のご加護がおまえにありますように。わたしもおまえに話をしているが、わたしは年を取っている。ただ盲人だけが、暗い闇を知っているのだ。わたしはまるで時間の外に生きているような気が、ずっと生きてきたかのような気がしていて、昼の光はもはや信じていないのだ。わたしのなかにも、快楽にふけり、血を流すなにかがある。
オイディプス: そのなにかが神だったって、あんたは言ってたよな。どうして、善良なるテイレシアス、あんたはその神に祈りを捧げようとしないんだ。
テイレシアス: わたしたちはみな、なんらかの神に祈りを捧げているが、生起するものは名前を持たないのだ。ある夏の朝、溺れ死ぬ少年は、神々についてなにを知るというのだ。祈りを捧げることがかれにどう役に立つというのだ。 人生には毎日、大きなへびがいて、隠れてわたしたちを見ているのだ。おまえはこれまでに、なぜ不幸なものたちは、年を取ると盲目になるのかと自問したことはあるか。
オイディプス: おれはそうなりませんようにと、神々に祈りを捧げるとするか。

(翻訳・持田 睦)
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2008年10月06日

第4話 馬

 以下にパヴェーゼの『レウコとの対話』第4話(1947年2月25日-26日筆)の翻訳を掲載します。舞台化の際には、この翻訳を下訳として、より適切な日本語に改める予定です。
(持田 睦)


(08/10/22更新)

 生と死、性と魂、ティタンたちとオリュンポスの神々とのあいだで存在する両義的な神ヘルメスについては語るまでもない。その一方で、善良なる医師アスクレピオスが、神および獣による転身の世界から生じることがもつ意味については、語るだけの価値はある。

(瞑界のヘルメスと半人半馬ケイロンの対話)

ヘルメス: 「神」があんたに、この坊やを育ててくれって頼んでるんだ、ケイロン。べっぴんさんのコロニスが死んじまったことは、もう知ってるよな。「神」は炎から、あの娘の子宮から、この坊やを、その不死の手でむしり取ったんだ。俺はもう燃えちまってる、悲しい人間のからだのところに呼び出されたってわけだ。その髪の毛は小麦のわらのように、真っ赤っかに燃えてたっけ。でもあの娘の影はな、俺のことをちっとも待ってくれやしなかったよ。薪の山から冥界の中へ、ひとっ跳びで、姿を消しちまったんだ。
ケイロン: 彼女はあの世へ移って行く時、雌の子馬になったのか。
ヘルメス: そうみたいだ。でも炎とあんたたちのたてがみは、あんまりにも似てるからな。そのことを確かめるひまはなかったよ。赤ん坊をここまで運んでくるのに、つかまえとかなきゃならなかったからな。
ケイロン: 赤子よ、おまえは火のなかに残されたままのほうがよかったのだ。おまえの母親に由来するものは、悲しい人間のかたちを除いては何もない。おまえは目をくらますばかりか残忍でもある光の息子で、血の気の失せた、深い苦しみの世界、腐敗した肉の世界、嘆息の世界と熱の世界のなかで生きていかなければならないだろう。こうしたすべては、「光を放つもの」からおまえのところに届くのだ。おまえをこしらえたのと同じ光が情け容赦なく、世界をくまなく探り、いたるところで、ものたちの悲しみを、傷を、臆病な心を、おまえの目に入れるだろう。へびたちはおまえのことを、見守っているだろう。
ヘルメス: 昨日の世界が衰えちまったのは確かなことだぜ、たとえへびどもが「光」の世界へ移ってきたってな。それより、なぁ、あの娘はなんで死んじまったのか、あんたは知ってんのか。
ケイロン: エノディオス、わたしたちはもう二度と、彼女がしあわせそうにディデュマからペーリオンへ向かって、アシの原と断崖のあいだを跳ねていく姿を目にすることはできないだろう。この程度で勘弁してくれ。言葉は血なのだ。
ヘルメス: ケイロン、あんたたちがあの娘のことを嘆き悲しんでいるのと同じように、俺があの娘のことを嘆き悲しんでいると言ったら、あんたには信じてもらえるかい。でも誓って言うが、なんで「神」があの娘を殺しちまったのか、俺にはわからないんだ。俺のふるさとのラーリッサでは、洞くつや森のなかで、獣の出会いがあったとの噂があるが…
ケイロン: それがどうしたのだ。わたしたちは獣なのだ。そして、まさしくおまえも、そうなのだ、エノディオス、ラーリッサでは雄牛の陰嚢だったというおまえ、時代の始まりにおいては、沼地の泥のなかで、世界に存在する血みどろの、無形なる一切と合体していたというおまえ自身のあり方に、おまえは驚きを覚えないのか。
ヘルメス: そんな時代は遠い昔だぜ、ケイロン、それに今俺が生きているのは地面の下か、十字路の上だ。俺は時々、あんたたちが丸石のように山から降りてくるとこや、水たまりや峡谷で跳ねているとこや、追いかけっこをしたり、声をかけあったりして遊んでいるとこを目にするぜ。あんたたちのひづめ、それがあんたちの本質だってことは、俺には分かってんだけど、でもあんたたちは必ずしもそうした存在にとどまるわけではないんだ。あんたの両腕と胸は人間そのもので、あんたのもうひとつの性質を示している。あんたたちの高らかな笑い声も、人間そのものだ。それから殺されちまったあの娘、「神」と重ねた数々の愛、あの娘のことを嘆き悲しむ女ともだち―あんたたちは、獣とは異なったものだね。勘違いでなけりゃ、あんたの母ちゃんも、とある神さまのお気に召されたんだっけ。
ケイロン: 過ぎ去った時代のことだが、全くその通りだ。彼女を愛するために、古い神は種馬に姿を変えたのだ。山の頂上で。
ヘルメス: そこで教えてほしいんだが、どうしてべっぴんさんのコロニスは、人間の女に過ぎないくせに、ぶどう畑のなかをふらふらして、「光を放つもの」とたっぷり遊んでたんだい。殺されて、体を焼き尽くされちまうまでさ。
ケイロン: エノディオス、風の吹きすさんだ夜の後、おまえのふるさとのラーリッサから、オリュンポスの山が天に浮かび上がる姿を、おまえはどれくらい目にしたことがあるのだ。
ヘルメス: 目にするどころか、ときどき登ってもいるぜ。
ケイロン: 昔はわたしたちも、山腹から山腹へと移り渡り、あの山の上に向かって全速力で駆けていったものだ。
ヘルメス: なら、あんたたちは山に帰っちまえばいいじゃねぇか。
ケイロン: おまえさん、コロニスは山に帰ってったんだよ。
ヘルメス: あんたは何が言いたいんだ。
ケイロン: わたしが言いたいのは、あの山は死だ、ということだ。あそこには主人たちがいる。といっても、老クロノスのような主人でなければ、それよりも古いかれの父のような主人でもない。さらには、あの日々を過ごしたわたしたち、死について考えるのはまれで、喜びはもはや限りを知らず、おのれによく似たものたちのなかで跳ねていた、わたしたちのような主人でもないのだ。あの頃、獣と沼地は人間と神の出会いの地だった。山、馬、植物、雲、奔流―わたしたちは太陽のもとに存在するすべてであった。あの頃、死ぬなんてことがいったい、だれにありえたというのだろう。わたしたちのなかには獣が、神のように存在していたのだとしたら、獣であるとはいったい、どんなことであったというのだろう。
ヘルメス: あんたには娘さんたちがいるよな、ケイロン、女でも雌の子馬でも、そのどちらであってもかまいやしない娘さんたちが。なにをあんたは嘆いてるんだ。ここでは山はあんたたちのもんだし、平地もあんたたちのもんだし、それから季節もそうだ。あんたたちを満足させるものだって、なにひとつ欠けちゃいない。峡谷の出口には人間どもの住処と小屋と村があり、家畜小屋と囲炉裏端では、悲しい死すべきものたちが、あんたたちをもてなす準備をいつでも整えながら、あんたたちのことを物語っているんだぜ。世界は新しい主人たちによって、ましな状態に保たれているようには思わないか。
ケイロン: おまえはかれらの一味なのだ、それでかれらを弁護しているのだ。かつては雄牛の陰嚢であり、激しい欲望だったというおまえ、そのおまえは今、血の気のない影たちを、地下の世界まで導いている。死すべきものとは、予定よりも早まって存在する影にすぎない。それにしても、この赤子の母親がひとりで地下の世界へ跳ねていったことを思うと、わたしは心からうれしくなるよ。彼女は死ぬことによって、少なくとも自分自身の姿は見つけ出せたのだから。
ヘルメス: やっとあの娘が死んじまった理由が分かったぜ。山の斜面に出かけ、人間の女でありながら、この男の子をこしらえるほどのたっぷりの愛で「神」を愛した、あの娘が死んじまった理由がな。あんたは「神」が無慈悲だったって言ってるよな。でもあんたは言えるのか、あの娘が、コロニスが、獣の欲求、おのれを産み出した血みどろで無形の激しい欲望を、自分の背後に、沼地のなかに残してから出かけたんだって。
ケイロン: もちろん言えない。それがどうした。
ヘルメス: 微笑んでいることの多いテッサリアの新しい神々にはただひとつだけ、笑って済ませるわけにはいかないことがあるんだ。運命を目の当たりにしてきた俺の言うことを、信じてくれよ。光のなかに、かれらの光のなかに、混とんがあふれるそのたびに、かれらは串刺しにして、破壊しつくし、そして元に戻さなきゃならないんだ。コロニスが死んだのは、こういう理由だったんだな。
ケイロン: だがかれらはもはや彼女を元に戻すことはできないではないか。すなわち、オリュンポスが死だ、ということには理があったということだ。
ヘルメス: それでも「光を放つもの」は、あの娘を愛していた。かれは神じゃなかったら、あの娘のことを嘆き悲しんだことだろうよ。かれはあの娘から、赤ん坊をむしり取った。嬉々として、あんたにこの坊やを預けてるんだ。ただあんただけがこの坊やを、真の男に育て上げられるってことを知ってるんだ。
ケイロン: 死すべきものたちの住まうところで、この子を待ちかまえている定めのことなら、おまえにはもうすでに話して聞かせた。この子は、からだの主、半神のアスクレピオスになるだろう。腐敗した肉体と嘆息のなかで生きていくだろう。人間たちは、運命から逃れるために、一晩でも、一瞬でも臨終の時を遅らせるために、この子に目を向けるだろう。この赤子は生と死のあいだを、かつては雄牛の陰嚢であり、今は影たちの導き手にほかならないおまえのように、通過するだろう。地上において、オリュンポスの神々が生きているものたちに与える定めとは、こうしたものなのだ。
ヘルメス: でも死すべきものどもにとっては、そうやって終わりを迎えるほうがましなんじゃねぇか。獣や樹のなかに閉じ込められちまったり、もーもー鳴く畜牛や、地をはうへび、永遠の石ころや、涙を流す泉なんかになっちまうような、昔ながらの責め苦にあうよりはさ。
ケイロン: オリュンポスが天空でありつづけるかぎりは、そのとおりだ。だがこうしたことは、過ぎ去っていくのだろう。

(翻訳・持田 睦)
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2008年07月07日

第2話 キマイラ

 以下に掲載するのは、パヴェーゼの『レウコとの対話』の第2話(1946年2月12日-16日筆)になります。舞台化の際には、この翻訳を下訳として、より適切な日本語に改める予定です。ちなみにこの対話は、ストローブ・ユイレの映画『雲から抵抗へ』第一部の2番目の対話になります。
(持田 睦)


キマイラ
(08/10/24更新)

 ギリシアの若者たちは名誉と死を求め、みずから望んで東方へと向かった。その地で、かれらの高潔な勇敢さは、信じられないほどに残虐な海、必ずしもすべての若者が目を覆わずにいられたわけではない海を航行した。名前を挙げるのは無益なことだ。それに十字軍は、優に七回を超えてあったのだ。キマイラの殺りく者をその老年に憔悴させた悲しみについて、さらにはトロイアの地で若死にした孫のサルペドンについて、イリアスの第六巻で語っているのはホメロスその人にほかならない。

(ヒッポロコスとサルペドンの対話)

ヒッポロコス: お帰り、少年よ。
サルペドン: あなたのお父さんに会ってきましたよ、ヒッポロコス。かれは戻ってくるつもりはまったくありません。醜く頑な様子で野をふらつき、悪天候にも気づかず、体を洗ってもいません。あれじゃ年老いた乞食みたいですよ、ヒッポロコス。
ヒッポロコス: かれのことをお百姓さんたちはなんて言ってるんだい。
サルペドン: アレイオンの野は荒れ地ですよ、おじさん。アシと沼地のほかにはなにもありません。クサントス河のほとりでもかれのことを聞いてみましたが、もう何日も見かけていないようでした。
ヒッポロコス: それでかれは、なんて言ってるんだい。
サルペドン: かれは、ぼくらのことも家のことも覚えていません。だれかに会うたびに、ソリュモイ人やグラウコス、シーシュポスやキマイラのことを話してきかせています。ぼくを見ると、かれはこう言いました。「少年よ、わたしがおまえの年齢だったら、すでに海におのれの身を投げ入れていることだろう。」でもかれはだれかをおどしているわけではないのです。「少年よ、」かれはぼくに言いました。「おまえは公正で、情け深い。わたしたちは公正で、情け深い人間だ。わたしたちが公正で、情け深く生きることをのぞむならば、生きていくことはやめるがいい。」
ヒッポロコス: 本当にそんな風にぶつぶつと不満を口にして、嘆いているのかい。
サルペドン: 恐ろしく、とんでもないことを口にしています。かれは闘いを挑むために、神々を呼び出しているのです。昼も夜も、かれは歩きつづけています。ただ、かれがののしっているのは、哀れんでいるのは、死者―あるいは神々だけなのです。
ヒッポロコス: グラウコスやシーシュポスのことを、おまえは言ってるのだね。
サルペドン: かれらが罰せられたのは裏切りだったとかれは言っています。なぜ年老いるのを待ってから、悲しく、はかないかれらに不意に襲いかかったのだ、と。「ベレロポーンは、」かれは言います。「おのれの筋肉に血がめぐるかぎり、公正で、情け深くありつづけた。それが年老いた途端、独りになった途端、まさにその瞬間、神々はかれを見捨てるのか。」
ヒッポロコス: そんなことで愕然としているなんて、奇妙なことだ。すべての生あるものの身にふりかかることに関して、神々をとがめるなんて。だがかれとその死者たちとのあいだには、どんな共通点があるんだい―かれはいつだって公正なひとだったじゃないか。
サルペドン: 聞いてください、ヒッポロコス…。ぼくだってかれの正気を失った目を見たときは、ぼくが話をしているのは、かつてベレロポーンであったその人なのかと、みずから問いただしたほどでした。あなたのお父さんには、なにかが起こったのです。年を取っただけではありません。悲しくて、孤独なだけではありません。あなたのお父さんは、キマイラの報いを受けているのです。
ヒッポロコス: サルペドン、おまえは気でも狂ったのか。
サルペドン: あなたのお父さんは、キマイラを殺すことを求めた神々の不正をとがめています。「あの日から、」かれはくりかえし言います。「みずからを怪物の血で真っ赤に染めてしまってから、わたしはもはや、本当には生きていないのだ。わたしは、敵を探し求め、アマゾンを制圧し、ソリュモイ人たちを虐殺し、そしてリュキアを治め、荘園に種を蒔いた―しかしこうしたすべてのことが、いったいなんであったというのだ。もう一匹のキマイラはいったいどこにいるのだ。怪物を殺した腕力はいったいどこにあるのだ。シーシュポスも、わたしの父グラウコスも、若くて公正だった―やがてふたりが年をとると、神々はかれらを裏切り、かれらが獣のようにふるまい、死んでいくのを放置した。一度はキマイラに立ち向かったほどの男が、どうして甘んじて死を受け入れることができるだろうか。」あなたのお父さんはそんなことを話しているです。かつてベレロポーンであったその人は。
ヒッポロコス: 幼いタナトスを鎖で縛りつけたシーシュポスに始まり、馬の餌に生きている人間を与えたグラウコスに至るまで、わたしたちの一族は複数の境界を侵してきた。でもそういった人たちというのはむかしの人間で、かれらは怪物のような時代に属していたのだ。キマイラはかれらが目にした最後の怪物だった。わたしたちの大地は今や、公正で、情け深いのだ。
サルペドン: そう思っているのですね、ヒッポロコス。あなたはキマイラを殺しただけで十分だと思っているのですね。ぼくたちの父―そう呼ばせてもらいます―は、おそらくそれが分かっているにちがいありません。それなのにかれは、神―見捨てられた、白髪の神のように悲しく、あの死者たちに話しかけながら、野や沼地を通り過ぎているのです。
ヒッポロコス: かれにはいったいなにが足りないというんだ、いったいなにが。
サルペドン: かれに足りないのは、キマイラを殺した腕です。かれに足りないのは、グラウコスやシーシュポスのような自尊心です。とりわけかれの父たちのように、限界に、終局に達した今となっては。かれらの大胆さがかれを苦しめているのです。かれはもう一匹のキマイラが、崖の真ん中でかれのことを待っているなどということが二度と起こりえないことを知っています。それでかれは神々を呼び出して、挑発しているのです。
ヒッポロコス: わたしはかれの息子なんだが、サルペドン、そういったことがわたしには分からないのだ。もはや情け深くなった大地の上、安らかに年を重ねていったほうがよいではないか。若い男のなかでならば、サルペドン、おまえみたいなほとんど少年のような男のなかでならば、血が荒れ騒ぐのも分かる。だが若い男のなかにかぎられる。名誉ある理由があるときにかぎられる。神々に逆らうためであってはならないのだ。
サルペドン: でも彼は、若い男と老いた男がどんなものであるかを知っています。かれはむかしの日々を見てきたのです。神々を見てきたのです、ぼくたちがお互いを見ているような仕方で。かれは恐ろしいことを物語っています。
ヒッポロコス: おまえはそれを聞くことができたのか。
サルペドン: ああ、ヒッポロコス、それを聞きたくないひとがいるでしょうか。ベレロポーンはめったに起こらないことを見てきたのですよ。
ヒッポロコス: 知ってるよ、サルペドン、知ってるよ、でもその世界は過ぎ去ったのだ。わたしが幼かったころ、かれはわたしにも、そういったことを物語ってくれたよ。
サルペドン: ただ、その時分、かれは死者たちと話をしていませんでした。あのころはみんな作り話だったのです。それが今では、かれが口にしている運命は、かれのものになっているのです。
ヒッポロコス: かれはどんなことを語っているんだい。
サルペドン: あなたも知っているできごとです。だけどあなたは知らないのです、もはや何ものでもないのに、すべてを知っているひとにそなわる冷淡さと、正気を失った眼差しを。リュディアとプリュギアの話です、古い話です、公正さも、情け深さも欠けている話です。あなたはシレノスの話をご存じですか。シレーネ山の上で、神はかれに挑み、うち負かすと、そのあとで、肉屋がやぎを殺すみたいにかれを虐殺しました。洞穴からは今、奔流が、まるでかれの血のようにあふれでています。石に変えられた母親の話はご存じですか。彼女が涙を流す崖になってしまったのは、彼女の息子たちをひとりずつ、弓矢を用いて殺すのが、女神のお気に召したからなのです。それからアラクネーの話もご存じですか。彼女はアテナの憎しみに、恐れおののき、蜘蛛になってしまいました。こういったことが、現実に起こったのでした。神々が、こうしたことを為したのでした。
ヒッポロコス: それはもっともなことだ。なにがいけないというんだい。考えるまでもないことだ。そうした運命のどれ一つ、残ってはいないのだよ。
サルペドン: 奔流は残っていますよ、崖も、戦慄も。夢の数々も残っています。ベレロポーンは、すべてが現実に起こり、夢ではなかった時代の屍や、憎悪や、血の海につまずかずには、歩むことができないのです。かれの腕は当時、世界のなかで重みがあり、殺したのです。
ヒッポロコス: かれもまた残酷だったのだ、それならば。
サルペドン: かれは公正で、情け深くありました。かれはキマイラを殺しました。そして年老いて、弱った途端、神々はかれを見捨てるのです。
ヒッポロコス: そういう理由で、かれは野を駆けめぐってるのかい。
サルペドン: かれはグラウコスとシーシュポスの息子です。神々の気まぐれと残忍を恐れています。かれはおのれが獣と化していることを感じながら、死にたくないのです。「少年よ、」かれはぼくに言います、「嘲りと裏切りはこうしたものなのだ。かれらはまず最初に、おまえからすべての力を奪い去り、そのあとで、おまえが人間でなくなると、怒り狂うのだ。もしおまえが生きることをのぞむなら、生きることはやめるがいい…」
ヒッポロコス: ではどうして自殺しないんだい、かれは、そういうことを知っているのなら。
サルペドン: だれも自殺なんかしませんよ。死は運命なんです。ひとはそれを望むぐらいのことしかできないのですよ、ヒッポロコス。

(翻訳・持田 睦)
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