2014年12月02日

ブレヒト版『アンティゴネー』の誤訳の伝染を防ぐために(1)

 「『アンティゴネー』と誤訳の伝染」という記事を書いたのは今から5年以上も前のこと。僕のような立場の人間がこうした記事を書いても、既存の翻訳の権威を前にしては無に等しいという現実を思い知らされるだけの年月だったけれど、昨日の午前、ユイレとストローブの『アンティゴネー』の講義の準備をしていて、やはり黙っているわけにはいかないと思った。以下の「誤訳の伝染」を、年代順にごらんいただきたい。引用箇所は、クレオンが長老たちに戦争の勝利を伝える場面であり、ブレヒト版『アンティゴネー』を正しく理解する上で決して誤読してはならない重要な場面である。

1975年(千田是也訳、「俳優座第124回上演台本」より)
[…]ここにお集まり
願ったのは、とりわけ二つの理由がある。
そのひとつ、諸君はまだ戦の神にまだ、
敵を踏みにじった戦車の代価を払っておらん。
戦場で神に捧ぐべき息子たちの血潮も
出し惜しみしておる。それに彼らがもし、
暖い屋根の下に戻って気が緩んだりしたら、
ますます勘定は高くつくに相違ない。
だから流されたテイバイの血の代償はな、
一刻も早く規定どおり払ってもらいたい。
1977年(井本道子/W・ミヒェル訳、「福岡現代劇場上演台本」より)
つまりここに集まってもらったには特に二つの理由がある。
そのひとつ、諸君は戦さの神に支払う、敵を踏みつぶす
戦車の代金の収支をないがしろにし、
戦場で捧げる息子たちの血も出し惜しんでおる。
だが、もし戦さの神が弱りはて、敗けて
ぬくぬくした屋根の下に帰ってきたりしたら
勘定は大変高いものにつくのだぞ。
だからテーバイの民に、
出し前は普通以上ではないことをさっそく知らせてほしい。
2001年(岩淵達治訳、「ブレヒト戯曲全集〈別巻〉」より)
諸君を選んで招集したのは二つの理由からだ/まず敵を蹂躙する戦車の/代金をまだ戦さの神に支払っていないこと、次に/戦場で流す息子たちの血も惜しんで十分に捧げていないことだ。もし/戦さの神が戦い疲れて安全な神殿に戻ってきたら/たくさんの勘定を済まさねばならぬ、それによって諸君はテーベの失った血が、常軌を逸するほどおびただしいものでは/なかったことをすぐに余に知らせるのだ。
 2008年(渋谷哲也訳、紀伊國屋書店DVD『アンティゴネ』の字幕より)
諸君を集めた理由は二つ
まず 戦神の思し召しで
敵を蹂躙した戦車の残数と
戦で流された若者の血の量を 汝らは知らぬ
疲弊した戦の神が社に戻ったら
勘定するがいい テバイが―
失った血は 常より
多くはないのだ―
 ブレヒトの原文は以下の通り。
Euch nämlich rief aus zwei Ursachen ich
Aus den Gesamten; einmal, weil ich weiß
Ihr rechnet nicht dem Kriegsgott die Räder nach
Am feindzermalmenden Wagen, noch geizt ihm
Das Blut der Söhne im Kampfe, doch ist
Kehrt er geschwächt unters wohlgeschirmte Dach
Viel Rechnen am Markt, daß ihr mir also
Den Blutverlust der Thebe zeitig beibringt
als übers Übliche nicht gehend.
 上記の3つの翻訳と1つの字幕がブレヒトの原文から乖離していることを、以下の3つの翻訳が僕に教えてくれた。まずはダニエル・ユイレのフランス語訳から。
Pour deux causes en effet je vous appelai
d’entre l’ensemble ; une fois, parce que je sais
que vous ne comptez pas au dieu de la guerre les roues
du char qui broye l’ennemi, et n’êtes pas avares envers lui
du sang des fils au combat, pourtant
retourne-t-il affaibli sous le toit bien protégé
on fait beaucoup de comptes au marché, que donc vous
portiez à ma connaissance à temps la perte en sang de Thèbes
comme n’allant pas au-delà de la pratique.
 続いて、ヘルダーリンの『アンティゴネー』の翻訳でも知られるデイヴィッド・コンスタンティーヌの英語訳。
There are two reasons why I summoned you
From among all. For one, because I know
You don’t keep count how many wheels the war god’s
Foe-crushing chariots need and don’t begrudge him
Your sons’ blood in the battle, but when he comes
With losses home under the well-defended roof
There is much reckoning up in the market place. Swiftly
Therefore make clear to Thebes the blood-spillage
Does not exceed the usual.
 最後に、マリオ・カルピテッラのイタリア語訳。
[…] Voi tra tutti
Ho chiamato per due ragioni : io so
Che al dio di guerra voi non lesinate
Le ruote del carro che schiaccia i nemici,
Né siete avari del sangue dei figli
Nella lotta, eppure quando torna,
Spossato, sotto il tetto ben difeso,
Si fanno molti calcoli al mercato:
Voi dunque, in fretta, mi dovete convincere
Tebe che il sangue versato non supera
La misura normale.
 原文の「nachrechnen」という分離動詞、「noch」という接続詞(副詞ではない!)、そして「Markt」という名詞が、フランス語と英語とイタリア語の各語訳においては適切な仕方で翻訳されているのに対し、日本語訳においては、初訳の千田氏から始まり、井本/ミヒェル両氏を経て、岩淵氏に至るまで、誤訳を伝染し続け、その影響は渋谷氏の字幕にまで及んでいる。これ以上の誤訳の伝染を防ぐためには、誤訳の伝染経路から外れた適切な日本語訳が必要不可欠である。近いうちに、フランス語と英語とイタリア語の各語訳の日本語訳、および原文の日本語訳を公開できたらと思う。

(2)に続く

(持田 睦)
posted by Uoh! at 03:21| Comment(0) | ユイレとストローブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。