2009年06月22日

『アンティゴネー』と誤訳の伝染

 ヘルダーリンの『アンティゴネー』翻訳を日本語に直し、それを上演することは、10年以上も前から僕が夢見ていることで、その夢を現実とするためにこれまで活動をつづけてきたと言っても過言ではない。もちろん、ヘルダーリンの「ソフォクレス翻訳」の仕事は、その極めて難解な「註解」も含めて真に偉大であるため、僕にはまだ背負いきれない可能性が高いのだが、ふとしたきっかけをいただき、ヘルダーリンの『アンティゴネー』を、ブレヒトの『アンティゴネー』と照らし合わせる作業を始めてみることにした。

 ブレヒトの『アンティゴネー』は、ヘルダーリンの『アンティゴネー』に基づいて改作されていると言うが、どの程度似ていて、どの程度異なるのか。

 用いる資料はヘルダーリン、ブレヒトのそれぞれの原書に加え、以下の訳書である。

 ヘルダーリンの『アンティゴネー』に関しては、英訳「Holderlin's Sophocles」が存在している。

 ブレヒトの『アンティゴネー』に関しては、英訳「Sophocles' Antigone」に加え、邦訳も二つ存在している。一つは岩淵達治氏の「ブレヒト戯曲全集【別巻】」の中に、そしてもう一つは、紀伊國屋書店から発売されている、ストローブ=ユイレの「ソポクレスの《アンティゴネ》のヘルダーリン訳のブレヒトによる改訂版1948年(ズーアカンプ社)」のDVDの字幕に、その翻訳が存在している。(ユイレによる字幕も存在するが、フランスで発売されているDVDに付された字幕が彼女の手によるものかは未確認である。確認次第、追記したい。〔追記・彼女の手によるものでした。〕)

 作業を開始してすぐに、面白いことに気付いたのでひとつご報告を。

 ヘルダーリンの『アンティゴネー』に次のようなイスメーネの台詞がある。
Nicht kam ein Wort zu mir, Antigone, von Lieben,
Kein liebliches und auch kein trauriges, seitdem
Die beiden Brüder beide wir verloren;
Die starben einen Tag von zweien Händen;
Seit aber fort das Heer von Argos ist,
Vergangne Nacht, weiß ich nichts weiter mehr
Und bin nicht glücklicher und nicht betrübter.
 この箇所をブレヒトは以下の仕方で改作している。
Nicht auf dem Markte zeigte ich mich, Antigone.
Nicht ein Wort kam zu mir von Lieben mehr
Nicht ein liebliches und auch kein trauriges
Und bin nicht glücklicher und nicht betrübter.
 一見して、ブレヒトが、かなりの分量を削除していることが分かると思うが、私が今日ご報告したいのは、ブレヒトの改作のことではない。

 まずは岩淵達治氏がこのブレヒトの改作箇所をいかに訳しているかお見せしよう。
私は市場にも出て行かなかったわ、アンティーゴネ。
親しい人たちも私に一言も言わないわ
優しい言葉も悲しい言葉もかけてくれない
だから嬉しくも悲しくもならないわ。
 つづいては紀伊國屋書店のDVDより、渋谷哲也氏の字幕。
外に出てないの アンティゴネ
身内の人達は 私に優しい言葉も
悲しい言葉もかけないから
嬉しくも悲しくもならない
 どうだろう。両者の翻訳がこうも似ていると、まるで原文からはこうとしか訳せないかのように思われるかもしれないが、まさか。

 まずは同じ個所の英訳をご覧いただこう(邦訳は私)。
I haven't been to the market, Antigone.
I've heard no news of our loved ones,
neither loving words nor sad words;
and I'm not happier and I'm not sadder.」
(わたしは市場には行ってないの、アンティゴネー。
わたしたちの愛する人たちについては何ひとつお知らせを耳にしてないの、
愛ある言葉も悲しい言葉も。
だからわたしは以前より幸せでもなければ悲しくもないの。)
 つづいて、ヘルダーリンによる翻訳の箇所の英訳。
No word, Antigone, came to me of loved ones,
No loving word nor sad either 〔以下省略〕
(言葉は何ひとつ、アンティゴネー、愛する人たちについてはわたしのところに届いていない
愛ある言葉も悲しい言葉も何ひとつ 〔以下省略〕)
 英訳と邦訳との大きな違いは「愛」の有無にあることがお分かりいただけるだろうか。

 邦訳が「von Lieben」と「Kein liebliches」の「lieb(愛する)」の響きを完全に打ち消してしまっているのは、『アンティゴネー』が「肉親愛」をめぐる対話であること思うとやや軽率かと思う。また「Kein liebliches」の箇所に関しては、ヘルダーリンがあえて、ソフォクレスの原文には存在しない「lieb」の響きを加えて翻訳していることを思うと、「愛」抜きで翻訳するのはどうかと思う。

 さらに言えば、
Nicht ein Wort kam zu mir von Lieben mehr
 の箇所を、
親しい人たちも私に一言も言わないわ
 や、
身内の人達は 私に〔優しい言葉も
悲しい〕言葉もかけないから
 と訳すのは、完全に誤訳であると思う。「von Lieben」は英訳にあるように、「愛する人たちについては」と訳すのが自然である。(「兄を失くしたのに、だれも慰めてくれないの」とぼやくなんて、イスメーネの気の弱さを考慮しても、ありえない台詞である。)

 ところで、この誤訳、たどってみたらその源は意外なところにあるようだ。
私には何ひとつも、お姉さま、親しい身内の話には、嬉しいことも辛いことも、 〔以下、省略〕
 この翻訳は、かの呉茂一氏によってソフォクレスの原文からなされており、岩波文庫で読むことができる。「親しい身内の話には」の箇所はおそらく「親しい身内の話に関しては」の意味で用いられているのだが、読者によっては「親しい身内の話の中には」と受けとめる者がいてもおかしくないほど誤解を招きやすい翻訳になっている。ちなみに田中秀央と内山敬二郎の両氏の翻訳によって1941年に理想社より出版された『ソポクレース 希臘悲壮劇』では、次のように明晰に翻訳されている。
アンティゴネー様、大事な方々のお噂など、善かれ悪しかれ一言も聞きません
 つまるところ、こういうことなのだろう。

 呉茂一氏によるピントのずれた翻訳が、誤訳と化して岩淵達治氏に伝染し、さらには渋谷哲也氏に伝染した…。

 皆さまもお気をつけあれ。

(持田 睦)
posted by Uoh! at 03:16| Comment(0) | ユイレとストローブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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