2008年12月20日

ソンディ『ヘルダーリン研究』が法政大学出版局から出版されます

 私も参加させていただいているヘルダーリン研究会が精読と翻訳を続けてきたペーター・ソンディの『ヘルダーリン研究』が、来年2009年の1月上旬、法政大学出版局より「叢書ウニベルシタス」の一冊として出版されることになりました。
 私が初めてソンディの名前を知ったのは、アドルノの『パラタクシス』を通じてでした。「ペーター・ソンディに捧ぐ」という献辞が気になり調べてみると、どうやら彼は『ヘルダーリン研究』という書物を記している様子。あのアドルノが自らの論文を捧げるほどの相手が記したものなのだから、悪い本ではなかろう、そんな軽い気持ちで取り寄せた原書の中身はなるほど魅力的な言葉にあふれているのですが、独力で読破するにはかなりの根気が要することもすぐ分かり、どうしたものかと思っていた矢先、大学時代の先輩から信じがたいお誘いをいただきました。東京にヘルダーリン研究会があり、そこでは今、ソンディの『ヘルダーリン研究』を読んでいる、興味があるのなら私もどうだ、と言ってくれたのです。
 大学院を中退してから、独学で勉強を続けていたとは言え、私のような立場の人間を、研究の最前線にいる先生方が快く受け入れてくれないのではないかという心配は杞憂に終わりました。ただ参加と発言を続けているうちに痛感したのは独学の限界で、「私ひとりが理解すること」と「私の理解を相手に伝えること」は全く別物なのだ、という当り前のことに気づかされるまでは、会の皆さまにはずいぶんとご迷惑をおかけしたのではないかと思います。

 分からないことを口にするのはよろしくないことです。分からないことを分かっているかのような口ぶりで語るのはさらによろしくありません。だからと言って分からないことを分からないままにして押し黙るのも意気地のないことですし、分からないことから完全に目を背けてしまうのは卑怯な場合さえあるでしょう。分からないことを前にしたら分かろうとしなければなりません。分かるまでその場に立ちつづけなければなりません。そしてなにかが分かったら、その分かったことを口にしなければなりません。口にしたことが相手に伝わらなかったら、言い方を変えなければなりません。相手が分かってくれるまで、言い方を変えつづけなければなりません。言い方を変えつづけても分かってもらえなかったら、分かっていたことが誤りであることに思いをやらねばなりません。そしてふたたび立ちつづけなければなりません。なにかが分かるまで、立ちつづけなければなりません。そしてまた言葉を口にのぼせるのです。分かってもらえる瞬間の訪れに、かすかな期待を寄せながら。

 ソンディの『ヘルダーリン研究』は、今まで翻訳がほとんどなされてこなかったことからも分かるように非常に難解な論文集です。そのためヘルダーリン研究会による『ヘルダーリン研究』の翻訳も難解さから免れることはできません。ただその難解さは、解消可能な場合がほとんどです。ヘルダーリン、そしてソンディの言葉を前にして、独断と偏見に陥りさえしなければ。ハイデッガーのヘルダーリン像から逃れることができずにいる方にはとりわけおすすめでしょう。私自身、大学ではハイデッガーを研究していましたので、彼のヘルダーリン解釈の素晴らしさは十分に理解していますが、彼の解釈が暴力を含むことは否定できないと思います。一方ソンディの『ヘルダーリン研究』には暴力はありません。存在するのは技術です。極めて難解であることで知られるヘルダーリンの「詩論」から論理を、他者に理解可能な仕方で引き出すその腕前は、文学者が有すべき能力がいかなるものであるかを私たちに思い知らせてくれます(誤解を恐れずに言えば、哲学者に文学は分からないのです)。どうぞソンディの『ヘルダーリン研究』の翻訳を手に取り、私の言葉の真偽をお確かめください。
posted by Uoh! at 15:29| Comment(0) | 読書・音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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